2014/06/28

認知症介護通信14/06/28

アクセス急増

前回の更新から、河野先生の「ドクターコウノの認知症ブログ」にバナーでリンクを貼って下さったこともあり、累計アクセス数こそ少ないもののアクセス回数が急増した。 画面上の小さな変更であるが、河野先生のブログを隅々までご覧になっておられることが実感された。
また、有難いことに、コウノメソッド実践医の先生方数名も早速リンクを貼って下さった。

アクセス解析からページビューの内訳を見ると、「どうやって認知症を勉強したらいいのか」シリーズが上位を占めた。 (「統計的有意」という程の大差ではない(笑)。) 
これは単なる個人的な経験を元にしたものである。 従って、稚拙で大したことではないのだが、実はコウノメソッド医療者、即ち医師ではない方々を意識して書いた。

河野先生からリンクを貼りたいとのお話しを頂いた時、「コウノメソッド医療者のための 認知症介護通信」というタイトルのバナーを提案申し上げたのだが、「認知症介護通信」と表示されている。 期待してクリックして見た方がおられたら申し訳ない。 専らの読者を介護関係者を想定しているのでご了承頂きたい。
 
併せて、「です」、「ます」調の丁寧な文体・言葉で表記しようかと思ったが、これでは冗長性が増して返って見づらいのでやめた。 因みに、書き始める前から分かっていたのだが、結構手間暇が掛かるものだ。 できるだけ毎週土曜日の更新を目標にしている。


用語について再考する
■歯車現象(cogwheel rigidity)
レビー小体型認知症(DLB)には、歯車現象を伴うことがあるのはよく知られている。 「歯車様筋固縮」とも表され、英語では「cogwheel rigidity」と言う。 cogwheelなのであって、通常イメージするような歯車(ギア、gear)とは形状も動作も少々異なる。

アナログ式の腕時計やアナログ式の柱時計の中を覗いて見たことのある人にはピンと来るであろうが、デジタル世代の人にはピンと来ないかも知れない。 

そこであれこれと考えてみると、クルマのシフトレバーの操作感がピッタリと来ることに気付いた。シフトレバーのロックを解除して「P」から「1」までカクッ、カクッとシフトする。 この感覚が「歯車現象」なのである。
「シフトレバー現象」の方が一般には分かり易いのかもしれない。
実際、DLBの人の両腕でこの歯車現象を確認してみたが、極微妙にシフトレバーを操作した時のような感覚が掴めた。




■鉛管様筋固縮(lead-pipe rigidity)
読んで字の如くである。 鉛の管である。 ところが、平成の時代、何処に鉛の管が転がっているものかと思った。 昔、鉛中毒が注目される以前は水道配管の継ぎ手として使われていた。 道端で穴を掘って水道工事をやっている現場に無造作に鉛管の切れ端が置き去られていたから、持ち帰って遊び道具になったものだ。

そういうことで、代替品がないかとあれこれ考えてみた。 瞬間湯沸かし器や給湯器にあった。 本体から延びた自在に曲がる蛇口のホース部分である。
現在は余程特殊でない限り鉛管が使われることはなく、フレキシブルチューブ/パイプと呼ばれる製品が使われているのだが、現場のおっちゃん達には通称「フレキ」で通じる。
こちらの方が一般には分かり易い。

鉛管様筋固縮は、大脳皮質基底核変性症(CBD)にみられる症状であるが、私はこの症状をまだ1例しか見たことがない。 
もう1例はまだ初期の段階で、鉛管様筋固縮は見い出せない。 歩行などの動作時に著しい四肢の左右差と、幻覚がある。 記憶力や礼節は保持されている。



竹内均博士
前回、地球物理学者の竹内均博士のことを書いたのだが、YouTubeでたまたま在りし日の博士のお話を聴くことができた。 何度聴いても感動である。 この声、しゃべり方がたまらなくいい。
もしご存じない方がおられたら、ご覧頂きたい。 竹内均博士 YouTube

習字で分かったアルツハイマー型認知症(ATD)の進行

ある時、習字のレクレーションを担当した。 ボランティアで書道の先生が施設に来て習字の指導をするのだが、特別なことはなにもない。
お手本を見て四文字書いて、左下に小さく自分の名前を書くのである。 上手に書ける人はそれなりに上手なのだが、下手な人は下手なりにある傾向があることが分かった。

アルツハイマー型認知症(ATD)の人は構成障害の関係からか文字の配置が無茶苦茶なのである。 失礼ながら小学生低学年並である。 ある数名は最近ボケ具合が進行したと感じていたのだが、数年前に書いた彼女らの習字作品が見つかった。  現在とは違って、驚くほど綺麗な配置で文字が書かれていたのである。 
ATDの検査に時計描画テスト(CDT;Clock Drawing Test)というのがあるが、習字もこれに似て検査代わりになるかもしれないと思った。 いちいち「検査」と称して肩肘張らずに気軽に経過観察できる。


夜勤で確信したレビー小体型認知症(DLB)

ある夜勤での出来事である。 夜間帯は概ね2時間に1回各部屋を巡回するように決められている。 「最近転倒が多くなった」と見守り強化が要請されていたMさん(100歳)である。 時々、惚けたこともいうのだが、100歳にしてほぼ自立、新聞を読み、テレビでニュースも観るのだから大したものである。 ほぼ毎日筋トレにも参加している。 ボケ具合と転倒の頻度増大からDLBを疑っていたが確証はなかった。

Mさんの部屋を覗くと、窓のカーテンを指さして怯えているのである。 私は部屋に入ってMさんに理由を尋ねた。 すると、Mさんは「カーテンの上の方から人がこっちを見ている」と言うのである。 幻視である。 私は「やっぱりね!」と思ったので、カーテンの上の方にいる人を追い払った。

幻視であっても、DLBの人が見えていることは事実である。 だから、「カーテンの上に人が居るはずがない」などと否定せず、招かれざる客を追い払えば良いのである。 このやり方で、大抵うまく行くのである。

それからまた別の夜勤の夜、Mさんの部屋を巡回すると、ごそごそとタンスの整理をやっていた。 深夜なので寝るように声をかけてその場を去った。 暫くしてMさんの様子を見に行くとMさんは寝ていた。 約2時間後の次の巡回で、Mさんはまたタンスの整理をやっていた。

DLBにはレム睡眠行動障害を伴うことがあるので、その後の夜勤の度にMさんの夜間帯の行動(睡眠)パターンの観察を続けたのだが、やはり概ね2時間ほどの間隔で覚醒してタンスの整理をする傾向があることが分かった。(尚、いつもこうだという訳ではなく、眠っていることもある。)

夜勤は生活リズムを乱し、身体に負担がかかる。 これも仕事だから仕方ないが、夜間の動態観察で認知症を発見できることもあるので、楽しみと言えば楽しみでもある。 否、勉強の場である。


今週の一曲

このブログのタイトルは「認知症介護通信」である。 介護に携わる方々を対象に書いている。 所詮、介護は「笑わせてナンボ」、「楽しませてナンボ」の世界である。 この傾向は、通所介護(デイサービス)ほど強い。 
結局のところ、じいちゃん・ばあちゃんがその日その日を楽しく過ごしてくれればいいのである。
そういうことで、ブログの〆は「今週の一曲」とし、懐メロを紹介するスタイルに決めたので、日々の音楽レクレーションなどの参考にして欲しい。 (これなら当分の間、ネタに困らない。)

「懐メロ」と言っても世代毎に差異があるのだが、介護保険の適用を受ける65歳以上の世代にお馴染みの歌手と言えば、先ずはこの人でしょう。 藤山一郎。 歌はご存知、「青い山脈」。 私はカラオケに行くと、必ずこの「青い山脈」も歌う。
ご存知のない若い世代の人たちも介護の仕事に携わる時代、もしご存知でなければ調べて欲しい。


認知症介護通信 14/06/28増刊号

他にもいる先駆者達

当たり前のことだが、如何なる分野にもその先駆的な功績を残したパイオニアはいるものだ。
今でこそ普通に使っているノートパソコンにせよスマホにせよ、この人の功績がなければ、私達はまだ手にすることができなかったかもしれない。 
何しろ、光の3原色のうち青色がおよそ四半世紀前には存在しなかったのだから。 青色発光ダイオード(LED)が市場に登場した時、その神々しいブルーに感動したことを覚えている。
(但し、現在は液晶ディスプレイ(LCD、Liquid Crystal Display)というまったく動作原理の異なるデバイスが主力を占めている。)

窒化ガリウムは、青色LED実現の有力候補として、世界中の研究者が取り組んで来ましたが、高品質の単結晶の作製が極めて困難であるため、多くの研究者が中止したり、他の材料の研究に転向して行きました。 私たちが81年に、当時としては注目すべき成果を国際学会で発表した時も全く反応がなく、「我一人荒野を行く」心境でした。 そのころ、出席者の誰一人として、窒化ガリウムに関心を持つ人がいなくなっていたのでしょう。 しかし、私は、たとえ一人になっても、この研究をやめようとは思いませんでした。 逆に、もう一度、この研究の原点である“結晶成長の基礎”に立ち返ることを決心しました。 
これは、窒化ガリウム青色LEDの研究史の上で、大きな岐路だったと思っています。 そして、試行錯誤を繰り返しながら、共同研究者の多大の協力を得て、1985年に高品質単結晶の作製に成功し、それを用いて、1989年にpn接合青色LEDを実現しました。


赤﨑勇(あかさき・いさむ)
鹿児島県出身。 京都大学理学部卒。 工学博士(名古屋大学)。神戸工業(現・富士通)、名古屋大学助教授を経て松下電器産業東京研究所基礎第四研究室長などを歴任。 1981年名古屋大学工学部教授、92年名城大学理工学部教授。
青色発光ダイオードの基礎技術を開発し、1989年に世界初の発光に成功。 C&C賞、東レ科学技術賞、朝日賞、藤原賞、ジョン・バーディン賞、京都賞などを受賞。 2004年文化功労者。81歳。



物理学と医学とは同じ理系ながら、こうも違うものかと常々思うのである。 
私にしてみれば、「青色発光ダイオード(LED) = コウノメソッド」なのである。
これだけ書けば、コウノメソッド実践医の先生方や、コウノメソッドをご存知の方々にはもうこれ以上の説明は不要である。

2014/06/21

大陸移動説と認知症治療可能説

研究者がそれまでにない、時には常識的に考えられないというような新説を提唱した時、多くの学者・研究者たちは異口同音にその新説を否定する。 既存の定説であるとか単なる先入観が、暗黙の内に新説を受け入れることを邪魔をするからである。 こういうことは、自然科学の歴史をひもとけば幾らでもある。

例えば、今でこそ「プレートテクトニクス」と呼ばれ地震学では定着している常識も、ウェゲナーが「大陸移動説」として提唱した時にはいろんな分野の学者から批判された。 「大陸が移動する訳がない」というのである。


プレートテクトニクス (ウィキペディアより一部転記)1912年に、ドイツのアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説は、かつて地球上にはパンゲア大陸と呼ばれる一つの超大陸のみが存在し、これが中生代末より分離・移動し、現在のような大陸の分布になったとするものである。 その証拠として、大西洋をはさんだ北アメリカ大陸・南アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線が相似である上、両岸で発掘された古生物の化石も一致することなどから、元は一つの大陸であったとする仮説であった。
当時の人には、大陸が動くこと自体が考えられないことであり、さらにヴェーゲナーの大陸移動説では、大陸が移動する原動力を地球の自転による遠心力と潮汐力に求め、その結果、赤道方向と西方へ動くものとしており、この説明には無理があり、ヴェーゲナーが生存している間は注目される説ではなかった。
それまでの通説は、古生代までアフリカ大陸と南アメリカ大陸との間には狭い陸地が存在するとした陸橋説であったが、これはアイソスタシー理論によって否定された。また、移動の原動力についての問題を解決したのが、地球内部の熱対流に求めた、1928年のアーサー・ホームズによって発表されたマントル対流説である。 その後、古地磁気学分野での研究が進展し、海洋底の磁気異常の様相が明らかになったことから、1960年代にロバート・ディーツが海洋底拡大説を唱え、それら全てをまとめたツゾー・ウィルソンによって、1968年にプレートテクトニクスとして完成した。


竹内均博士(東京大学名誉教授)は、寺田寅彦博士(東京帝国大理科大学教授)が残した「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を胸に抱き、関東大震災以降、災害に、特に地震に無頓着であった日本国民に警鐘を鳴らし続けた竹内博士の専門であるプレートテクトニクスに基づく科学的な地震学を広めようとしたが、十分に国民に浸透する前に彼が恐れていたことが現実となる。1995年に兵庫県南部地震、いわゆる阪神・淡路大震災が発生したのである。その結果、彼の目的は期せずして達せられたが、テレビなどマスコミにプレートテクトニクスを知らない「にわか地球物理学者」が登場し、誤った科学知識を広めたので、よりいっそう本の出版など、科学の啓蒙活動に力を入れた。 

地震大国の我が国においては、地震予知というのは死活問題であり、近い将来発生するであろう、東海・東南海・南海地震に備え、被害を最小限に抑えることが重要であることは多くの日本国民の知るところである。 プレートテクトニクスは、テレビで地震の解説などでよく見聞きするからご存知の方も多いと思う。 ここでこれ以上プレートテクトニクスについては言及しないが、
 ・誰も地球内部のマントル対流を直接見た人はいない。
 ・けれど、地球表面と地殻で起こる現象からプレートテクトニクスは科学である。

転じて、コウノメソッド。
 ・誰も生きている人の脳のセロトニン、ドーパミン、アセチルコリンの活動を直接見た人はいない。
 ・けれど、認知症のBPSDを対症療法で治せることは多数の実践医が証明しているから科学である。



私は、いつの頃だか正確には覚えていないが、おそらく3年くらい前から河野和彦博士のコウノメソッドを勉強している、学者でも医者でもないただの認知症オタクである。 自称「オタク」と言うからには、河野先生のブログや著作も読んできたし、医師が読む専門書や学会誌も読んだ。

現在の常識(否、本当は俗説であり、もはや悪説なのだが)に反して、河野博士は「認知症は治せる」と言うのだから学会からは異端者とみなされ、相手にされていないという。 相手にされないもう一つの理由に、「抗認知症薬を減らせば良い」という主張にもある。
しかし、実際には岩田明先生(長久手南クリニック院長、コウノメソッド実践医第1号)ほか多数の実践医らが次々に認知症を治しているのだから、これはもう事実は事実として認めるしかないと常々思ってきた。

常々、そのように思うにつけ、冒頭に掲げたウェゲナーの「大陸移動説」から現在の「プレートテクトニクス」への発展(仮説から定説として受け入れられていること)が、コウノメソッドの現状とダブって見えて仕方ないのである。 
そこへいよいよ、堀智勝先生(新百合ヶ丘総合病院名誉院長)を代表世話人に、コウノメソッドを治療プロトコルとする、「認知症治療研究会」が誕生した。 


実践医の先生方の日々の診療行為は、ある意味「追試」という形でコウノメソッドの正当性を証明してゆくことになろうと期待している。 
多くの臨床医の先生方が集結し、英知を絞り、議論を重ねれば更に多くの認知症の治療方法が発見されるのではないだろうか。 数年先の予防法や治療法に期待することよりも、先ず今日現在困っている人たちを救って頂きたい。

竹内均博士
竹内均博士の功績は、プレートテクトニクスに基づく科学的な地震学を広めようとしたことにあるのだが、それは同時に、地球物理学という難しい学問を分かり易く説くことで、専門家ではない広く一般国民に対して閾(しきい)を低くした。

竹内均博士と同様に、河野和彦博士は「認知症治療学」というまったく新しい体系の学問を提唱し、これを分かり易く説き、日本国民の持つ認知症に関するレベルを向上させてくれるのではないだろうかと期待している。



2014/06/19

人間万事塞翁が馬

キューバ危機(Cuban Missile Crisis)は、キューバを舞台に、1962年10月14日から28日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、核戦争寸前まで達した危機的な状況のことである。
この歴史上の出来事を元に映画「13デイズ」が制作された。

あらすじ
1962年10月16日、ソ連がキューバに核兵器を持ち込んだという知らせがケネディ大統領(ブルース・グリーンウッド)のもとへ届く。 彼は直ちに緊急の危機管理チーム、国家安全保障会議緊急執行委員会、通称エクスコムを招集。 会議では空爆が推薦されたが、第三次世界大戦の勃発につながる危険があり、大統領はそれを避けたかった。
彼は本音を打ち明けられる弟の司法長官ロバート(スティーヴン・カルプ)、親友の大統領特別補佐官ケネス・オドネル(ケヴィン・コスナー)と共に、最善の手を探る。空爆を迫る軍部を退けた大統領は、国連総会のため訪米したソ連外相と会談するが、外相はミサイルの存在を否定する従来の主張を繰り返すのみ。

大統領の疲労と緊張は限界に達しはじめるが、ケネスは「国民はきっとあなたについてくる」と励まし、腹をくくった大統領は海上封鎖実施を発表。 しかしキューバのミサイルは発射準備を整えつつあり、大統領は止むなく29日に空爆の準備を指示。 さらに、爆撃目標の最終確認に飛び立った偵察機が撃墜されるという事件が起こる。軍部は即時報復を進言し、事態は一触即発の状態に。
それでも大統領はトルコのミサイル撤去を切り札に最後の交渉に賭ける決意を変えず、ロバートを駐米ソ連大使との交渉役に任命する。 弱気を示す彼をケネスが励まし、現場に同行。 かくして核戦争は回避され、悪夢の13日間は無事幕を閉じるのだった。

この映画は私のお気に入りで、DVDが発売された時、まっ先に購入した。 依頼、台詞を覚えるくらいに繰り返し観た。 これは国際政治の舞台での出来事を元にしたフィクションではあるが、何か交渉事をする際のひとつの参考としてみるのもいい。
JFKブームもあって、ケネディ大統領に関する本は多数出版されたから、私も色々読んだ経験がある。 インターネットなど存在しない時代であり、凝り性であるから、いくつも本を買って読んだ。

キューバ危機勃発の時も、ケネディ大統領が登場した時も私はこの世にいた。 四方を山に囲まれた農村に住んでいた。 兼業農家である。 祖母の背中に負われたり、畦道で子守をされて育った。 当時、開業医は近くに1軒あったが今は無医村である。 田畑が遊び場で、幼子ながらも野良作業を手伝い、牛舎で牛に餌を与え、西瓜畑で採りたての西瓜を食べたりした。 祖父母には、教育こそされなかったが、躾はされた。

こういう経験があるからだろうか、「お年寄りを大切にしよう」とか、「年著者を敬おう」とかいうことの意味は幾らかは理解しているつもりではある。 それ故に、介護現場では昭和時代の話しは得意である(但し、生まれる前のことは、「耳学」であるか、調べたことである)。 また、「自分の祖父母や親に接するように、親身になって介護する」ように気遣ってはいるが、あまりにも負担が多いのが実情である。
祖父母4人中、3人は痴呆症とは無縁のまま他界したが、1人はアルツハイマー型痴呆症であっただろう。 当時は、痴呆に関する知識などなく、一般の関心も今日ほど多くはなかった。
長寿であることは喜ばしいことではあるが、認知症は避けたい。 だから、予防は大切であるが、罹ってしまっては仕方ない。 今日現在、治療が必要な人は対症療法で救っていかなければならない。

2014/06/15

「この人が一番良くしてくれる」 ・・・最上級の賛辞ではあるが

施設に入所しているMさんには、軽い脳梗塞後遺症のため左上下肢に少し麻痺があるが、軽度の血管性認知症かもしれない。 ただ、言って良いことと良くないことの思慮分別なく、思ったことを口にすることが時々ある。 少しばかり寂しがり屋なのであろう、家族があまり面会に来てくれないと愚痴をこぼすこともある。

数ヶ月ほど前から、Mさんは食欲が無くなり、食行為への関心が薄れてきたように感じるようになった。 それは徐々に進行して行ったのだが、前頭側頭型認知症(FTD)に比べると少し早い印象である。
・目の前のお膳の料理やご飯をごちゃ混ぜにする
・食べかけを同席の利用者にあげようとする
・口に入れた食べ物やお茶を吐き出す
・食器の食べ物やお茶を床に捨てる
・時々、口答えして職員を困らせる

こういう症例(前頭葉症状)は、FTDによく見られるのだが、あまりに進行が早い(階段状に進行する)のでFTDではなく脳梗塞の既往歴を勘案して、私は脳梗塞再発による前頭葉機能の低下の疑い有りとして要注意していた。

そんなある日のこと、Mさんの面会に息子夫婦が訪れた。
それまで口数の少なかったMさんは、部屋に入ってきた私を見るなり、「この人が一番良くしてくれる」と突然家族に言うのである。 私は恐縮して、愛想笑いしかできなかったが、Mさんはちゃんと観ていると感心した。 一般に呆けていても、血管性認知症の人は記憶力とか人格はきちんと保たれていることが多いのである。

「この人が一番良くしてくれる」というのは、介護職に携わる者にとっては最上級の賛辞であるかもしれないと、改めて実感した。 それから約2週間後の朝、Mさんの様子がおかしいことに職員が気付き、心配し始めた。
結局、脳梗塞の再発であった。 経口摂取不能で経鼻経管栄養となり、施設を退所することになった。 Mさんの異変に気付いておきながら、何の対応策も講じることができなかったことが悔やまれる。

「この人が一番良くしてくれる」などという賛辞はただの美辞麗句であり、この程度のことで満足していては施設利用者・患者を救えないと思った。
何かしらの異変に気付いたら、介護職者であれば看護師を通じて、あるいは看護師であれば看護師として、嘱託医に上申して医療介入してもらうシステムを構築しなければならないのである。


最近は、4大認知症のうち、神経変性性の認知症ばかりに興味が行ってしまっていて、血管性認知症に疎くなってしまった。 だから、血管性認知症―遂行機能と社会適応能力の障害(ワールドプランニング)を読み直すことにした。 この本は、2009年8月に購入して読んでいた。 読んで字面を追って理解するのと、実際に症状を観て理解するのとでは、雲泥の差があることに思い知らせれた。

河野先生は、「コウノメソッドを学べば、認知症の鑑別診断は実は医師でなくても、画像機器がなくても、85%可能である。」という。 私も早いこと、85%の領域に達したいと思う。
なお、上に紹介した本はコウノメソッドとは直接関係ない。 しかし、この本は良書であると思うので紹介方々掲載した。 アルツハイマー型認知症と対比させながら、血管性認知症を論じているから、アルツハイマー型認知症の勉強にもなる。



2014/06/14

悪貨は良貨を駆逐する

私の格別の楽しみと言えば、毎週金曜日の夜の「ドクターイワタの認知症ブログ」、毎週日曜日の深夜の「ドクターコウノの認知症ブログ」が更新されることである。 最近はこれらに、毎週月曜日と金曜日に更新される「鹿児島認知症ブログ」も加わり、楽しみが増えた。 「楽しみ」と言っては本質的には失礼なことかも知れないが、「更新を楽しみにして、勉強させていただいている」のである。

岩田先生の最新号(2014/06/13)の「施設長の判断でフェルガード類が中止」を拝見して、私も頭に血が上った。 詳細は先生のブログを参照いただくとして、「真に薬剤と同等かそれ以上に効果のあるサプリメントに対して偏見を持つな」、「認知症治療に何も知識が無いなら、余計な口出しはするな」なのである。 但し、ここが重要なのだが、薬物治療を受けていて、薬の種類が変わったとか、服用する量が増えたとかで患者の様子が望ましくないような状態になったら、相手が医師であろうと遠慮せずに口出ししていいのである。 特に、「認知症は治りませんから」とか、「症状が進行したのでしょう」などという説明は軽々に納得してはいけない。

ところで、経済学にグレシャムの法則というのがある。(以下、ウィキペディアより転記)
グレシャムの法則は、金本位制の経済学の法則のひとつで、貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則である。一般には内容の要約 「悪貨は良貨を駆逐する」 で知られる。「グレシャムの法則」という名称は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来する。これを19世紀イギリスの経済学者ヘンリー・マクロードが自著 『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し 『グレシャムの法則』 と命名、以後この名称で呼ばれるようになった。

サプリメントに話しを戻そう。 科学的根拠に乏しいサプリメントは世にいくらでもある。 それでも、今やサプリメント時代である。 それだけ健康に関心を寄せる人が増え、サプリメントを要望されることに相違ない。
先にグレシャムの法則を挙げたのは理由がある。 単純に言って「悪い貨幣が多く出回ると、良い貨幣が追いやられる」という意味であるが、これを転じて「効果のないサプリメントが多く出回ると、真に効果のあるサプリメントまでも駆逐される」と言いたかったのである。

本当に効果があると科学的に証明されたサプリメントのひとつに、岩田先生はじめ多くのコウノメソッド実践医が推奨する「フェルガード」がある。 私は、認知症予防のため母に飲ませている。

岩田先生のブログで、「治療の一環として採用しているフェルガードを、施設長の判断で中止させた」というのであるから、殺人行為に匹敵すると言っても過言ではないと思う。 

詳しい経緯は省略するが、私の父の入院に際してフェルガードを胃瘻から注入するよう希望したら断られた経験がある。
仕方ないから、私は病院職員に見つからないようにフェルガードをこっそりと胃瘻から注入した。 健康食品であるから、患者家族が入院中の家族に与えても違法ではない。 患者のことを思う家族は、こうまでしてでも自分の家族を助けたいと思うのである。

フェルガードについては、株式会社グロービアのホームページをご覧頂きたい。 その中で特に、「なぜ医師の紹介が必要なのか」をご覧頂きたい。
認知症の治療を学ぶ上で、とても重要なことが記されているので、以下に転記する。

認知症に限りましても、アルツハイマー病だけでなく、レビー小体型、前頭側頭型を始めとしてたくさんの病型があります。年月と共に当初の病型が変わっていく方や当初の病型に他の病型、あるいは別の変性疾患が合併して症状が変遷していく方もたくさんいらっしゃることがわかってまいりました。 また、同じ病型だとしてもこのような疾患には大きな個人差がございます。
このような状況をきちんと把握して、患者様に適切な医療を施すことができる医師は、患者様及びご家族と頻繁に接し情報交換しているかかりつけの先生以外にないと私どもは考えております。 その上でフェルガード®を最も有用にご利用頂く手段は、かかりつけの先生にフェルガード®の内容をきちんと理解してもらい、適切な医療の一環として組み込んで頂くことだと考えております。

ここで注意がひとつある。 通販サイトのアマゾンで取り扱っているフェルガードは偽物である。 購入を検討される場合には、直接グロービアに問い合わせるのが良い。

2014/06/13

プロフェッショナルの流儀・・・かな?

■ノックは3回
国際マナープロトコルだったか何だか忘れたが、トイレではノックは2回、部屋のドアではノックは3回となっているらしい。 介護はサービス業だから、こういうことにもこだわってみたいと思った。
それで、必ずこのプロトコルに沿うようにしてみた。

ある夜勤の時、いつものようにAさんの部屋のドアの前でノックを3回してからドアを開けた。 すると、
「おお~、あんたか。」
と、開口一番に言う。
「どうして分かったのですか?」
と、私が尋ねると、Aさんは、
「あんたは必ずノックを3回する。」
と、言った。

見ている人は、ちゃんと見ていると感心した。 因みに、Aさんはパーキンソン病である。 若干のレビー小体型認知症を感じることもある。 たまに幻覚(幻視)と妄想があるようだが、症状は軽い。


■テーブルを拭く前にひとこと
他人様の周囲1mくらいはその人のテリトリーである。 だから、テーブルを拭く前に必ず、「前を失礼します」とひとこと言ってからテーブルを拭くことにしている。 礼儀であることは言うまでもないが、認知症の症状観察でもある。

・アルツハイマー型認知症の人は、大抵の場合「すみませんねぇ~、私がしますよ」などと言って、その場取り繕いの反応を示す。
・レビー小体型認知症の人は、「すみません」とお礼を言ってくれたり沈黙だったりする。 なにしろ、ボーっとしていることが多い、日によって状態が変わるからである。
・ピック病(FTD)の人は、無関心である。 たまに、怒って暴言を吐かれることもある。
・血管性認知症の人は様々である。 障害を受けた脳の部位によって違いがあるのかも知れないが、良く解らない。
・認知症ではない人は、例外なくお礼を言ってくれる。

最近知った、神経原線維変化型老年(期)認知症(senile dementia of the neurofibrillary tangle type;SD-NFT)と嗜銀顆粒性認知症(argyrophilic grain dementia;AGD)らしき人。 「らしき」なのは、これらをまだよく理解できていないけれど、共通するのは90歳~101歳で普通に生活している人達であるから。

この人達は、礼節正しくきちんとお礼を言ってくれるが、AGDかなとみているうちの一人は知らんフリすることが多いがまだよく分からない。 性格因子も関係するのか?

■手引き歩行は行進曲で
片手なり、両手なり手引き歩行が必要な人を介助する際に、「イッチ、ニッ、イッチ、ニッ、・・・」と声かけすると良いのだが、これでは楽しくない。
だから、2拍子の行進曲に替えてみた。 「見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば・・・」(愛國行進曲)などと歌いながら歩行介助をやってみた。 
やはり、アルツハイマー型認知症の人にはウケが良い。


何気ない日常の所作であるが、こういうことをやっていると認知症のタイプ別に大まかな傾向が見えてくる。 そのタイプ別に接遇を臨機応変に切り替えているようにしている。 
そういう「流儀」を周囲の同僚は分かっていないから、私のことを「高齢者専門の詐欺師」と言う。 

但し、アルツハイマー型認知症の人に、その場凌ぎのでまかせを言ってでも不穏状態を諫めることはやっても、血管性認知症の人に絶対でまかせは言わない。 比較的、記憶力は保持されているからだ。
こういうことを知らない職員は、何気ない一言で利用者を怒らせたり、気持ちを傷つけたりすることを平気でやっている。

2014/06/12

わざと間違えてみた

Nさんは片麻痺のある血管性認知症の人である。 幾分昼夜逆転しているようで、日中はウトウトしていることが多い。 息子さんと暮らすデイサービス利用者である。
昼夜逆転しているから、デイルームに居る時はおとなしいことが多い。 但し、時々覚醒しては、「ヘルパーさぁ~ん!」と大声を出すのが困る。 同僚は、「寂しいから私達を呼ぶ。 相手にするのは程々にしておきなさい。」と忠告する。

確かにそういう理由もあるのだろうけれど、私はそういう文学的解釈には興味がないから、「血管性認知症だから、そういう症状があるのだろう」と思った。 まだ認知症については勉強を始めたばかりの頃であったから、あるがままを観察するしかなかった。 帰宅して、毎月定期購読している学会誌を読んで考察を加えるのが手一杯であった。
ただ、血管性認知症にアルツハイマー型認知症が合併しているのかどうかは気になっていた。 というのも、いくら注意しても関わり合っても、「ヘルパーさぁ~ん!」と呼ぶからである。

そんなある日のデイサービスの帰り道、山間の交差点前でわざと道に迷ったフリをしてみた。
「ねえ、Nさん。 帰り道はその交差点を曲がるの?」
と、私が訊くと、
「いや、次の交差点を左よ!」
と、はっきりと答えたのである。 

迷子や地誌的失認はアルツハイマー型認知症に見られる症状であるから、Nさんはアルツハイマー型認知症を併発してはいないと思った。

またある日の帰り、自宅前で出迎えに立つ息子さんに、Nさんは言った。 
「この人が一番良くしてくれる。 あんたからもお礼を言いなさい」、と。
私は、ある意味、介護の恐ろしさを知った。 「介護職員・スタッフが利用者を観る以上に、利用者は私達を観ている」ということを。

同様のことを後にも経験することがあるが、決まって血管性認知症の人に多い。 血管性認知症の人は、礼節や人格が比較的良く保たれていると指摘されている。 人を区別して接遇してはいけないが、血管性認知症の人への言動にはより細心の注意を払わないといけない。 特に、その場凌ぎの「でまかせ発言」(良い意味でのウソつき)をしてはいけないのである。
こういうことに気遣いができない介護職員・スタッフが多いのは残念でならない。

以下のことを覚えておいて欲しい。
 ・その場取り繕いのアルツハイマー型認知症
 ・我が道を行く前頭側頭型認知症
 ・日によって調子がコロコロ変わるレビー小体型認知症
 ・いつも同じ血管性認知症

2014/06/11

どうやって認知症を勉強したらいいのか[5]

この拙いブログを更新してアクセス数が増えるに連れ、「どうやって認知症を勉強したらいいのか」シリーズが上位を占めた。 コウノメソッド実践医の先生方が今更「どうやって認知症を勉強したらいいの?」でもなかろうにと推察する。

これまでの同シリーズに書いたことはすべて事実であり実感であるのだが、敢えてもう1回だけシリーズを加筆することにした。 やはり、どのような学問とそこから派生する如何なる分野でも、「基礎」が重要であることに変わりはないのだから。
 
私の認知症に関する学習はすべて独学である。 独学なのだから、当初何か「ペースメーカー」となるようなものが欲しかった。 それで専門雑誌に目を付けた。 雑誌というのは、大体1年間で「主要な話題」は一巡するようにできている。  だから、数年間専門雑誌を読み通せば見通しが付くだろうと考えた。
今振り返ってみて、その目論見は正しかっただろうと思う。

しかし、だからと言って、下記に挙げるようなサブタイトルの雑誌を読みましょうと推奨していいのかどうかは些か躊躇せざるを得ない。 理由はご周知のとおり、抗認知症薬製造販売メーカーがスポンサーとなっている学会の雑誌・論文だからである。 
そういう「ネガティブなバイアスがかかっている」ということを重々理解した上で、認知症の基礎研究、概説・総説を読むとしたら、それは有益であると思う。
実際、私はこの雑誌を定期購読して、これを元に勉強を続けたことは基礎を固めるという意味で有意義であったと思う。 何故なら、コウノメソッドをすんなりと理解できたからである。

例えば、同じ工学と名が付いていても、「電子工学」と「電気工学」には一字違うだけだが厳密な意味で大きな差異がある。 隣接する学問だからといって、気軽に踏み込めるかというとなかなかそう簡単にはいかないと思う。 事実、私は前者の専攻であるが、後者にはまったく疎い。 年齢のせい、必要性の有無のこともあるが、今更後者をやろうとは思わない。 それだけ専門分野は高度に分業化されているのである。

素人が僭越な言い方をしてしまって失礼なのは重々承知だが、基本中の基本は確実におさえておかなければ応用が利かない。 「応用」とはコウノメソッドであると捉えていいと思う。 今まで認知症は、専門とする診療科目の傍らに診ていたという先生方も、これからは専門科目と同様にしっかりと診て行かねばならない時代になった。 

「基礎を学ぶ」という観点では、この学会誌も選択肢なのかなあと思うので、このシリーズに敢えて書き連ねておくことにした。 但し、製薬メーカーに遠慮しているということを念頭に置いて参考にすれば、ある意味最新情報源のひとつではある。 言うまでもなく、臨床の最新情報源は河野先生とコウノメソッド実践医の先生方の各ブログ等による症例報告である。

私が読んで独学の基礎とした学会誌(購読分の一部を記載)
【老年精神医学雑誌各号のメインテーマ】23巻8号  高齢者と脳内神経伝達機能    
増刊号-II  第27回日本老年精神医学会プログラム・抄録集    
増刊号-I  アルツハイマー病診察最前線における課題と展望    
22巻12号  認知症の終末期医療・ケア
22巻11号  認知症の神経心理学    
22巻10号  高齢者の生活支援のための心理検査の活かし方    
22巻9号  老年精神医学と脳循環代謝    
22巻8号  超高齢社会における精神病像の新しい側面    
22巻7号  高齢者の経済被害    
22巻6号 高齢者の社会的孤立と精神保健    
22巻5号 高齢者の精神障害と漢方    
増刊号-III 第26回日本老年精神医学会プログラム・抄録集  
22巻4号 成年後見制度の10年と老年精神医学    
22巻3号 認知症のリハビリテーション    
増刊号-II 認知症新薬の最先端  
22巻2号 レビー小体型認知症 ─Update
増刊号-I アルツハイマー型認知症の諸問題を再考する
22巻1号 認知症高齢者の相補代替医療(CAM)  

21巻12号 アルツハイマー病治療薬の現状と期待される治療薬
21巻11号 認知症のための医療資源整備をどう進めるか      21巻10号 認知症をめぐる教育の現状と課題    
21巻9号 高齢者の睡眠障害をめぐって  
21巻8号 BPSDの疾患別特徴-AD,DLB,FTD-  
21巻7号 老年精神医学と司法精神医学
21巻6号 高齢者の幻覚妄想 -妄想性同定錯誤症候群とその周辺-    
21巻5号 認知症の発症にかかわる遺伝子    
増刊号-II 第25回日本老年精神医学会プログラム・抄録集  
21巻4号 認知症疾患医療センター;認知症医療の要としての課題    
21巻3号 認知症と身体疾患
21巻2号 軽度認知症をスクリーニングするための神経心理学的検査
増刊号-I アルツハイマー型認知症
21巻1号 認知症者の尊厳は守られているか

20巻12号 認知症における摂食・嚥下障害
20巻11号 老年期にみられる症候から診断への手順
20巻10号 認知症の診療に役立つ神経心理学
20巻9号 老年精神医学とオミックス医療  
20巻8号 若年認知症に関する臨床上の問題  
増刊号‐III アルツハイマー型認知症のスキルアップを考える  
20巻7号 認知症と食
増刊号‐II 第24回日本老年精神医学会プログラム・抄録集  
20巻6号 認知症の経過・予後
20巻5号 高齢者のこころの健康と地域社会の創造


サブタイトルだけでは分かり辛いが、各号のメインテーマは繰り返し特集されるのである。

2014/06/10

どうやって認知症を勉強したらいいのか[4]

私は医学屋ではない。 だから、テレビ等で見聞きする家庭の医学程度のことしか知らない。 私は文学屋ではない。 だから、夏目漱石の坊ちゃんくらいは読んだことはあるが、本棚には文学書は1冊も並んでいない。 
元々、私は工学屋である。 だから、工学書は本棚の飾りのように並んでいる。 読んで、調べて勉強しなければ飯が食えないのだ。 こういう癖があるから、疑問に思ったら、徹底的に調べる習性が身に付いた。


さて、ある時、こういう勉強方法があるんだ、と気付いたから紹介したい。 それは、施設にある「個人情報ファイル」、あるいは「介護記録」である。 
介護記録は、いわば「お役所仕事」のお付き合いで書いている位にしか私は思っていない。 けれど、お役所はこの記録を介護サービス提供実績の拠り所として介護報酬を支給するのだから、お付き合いでも書いて、5年間保管しておかねばならないのである。

ところがである、この記録の綴り(ファイル)に、既往歴、入所前の生活歴などと共に「医療情報提供シート」が綴じられていることに気付いた。 たまに、処方薬の記録もあったりするのである。 これを見て、笑った、怒った、そして激怒した。
これは、ある意味参考になると思った。 最近は、激怒を通り超してもう笑うしかないことが多いのであまり見ないようにしている。

以下は、ほんの数例である。
■診断名:アルツハイマー型認知症
■処方薬:アリセプト
■私の見立て:正常圧水頭症に伴う認知症疑い。 強度のすり足歩行。 時々、惚けたことを言うが、通常は正常にしか見えないし、アルツっぽさを微塵も感じない。

■診断名:アルツハイマー型認知症
■処方薬:なし(本人の拒薬による)
■私の見立て:ピック病。 入所前に入院していて、その病院でアリセプトが処方されたのだが、易怒のため身体拘束を受けていた。 「我が道を行く」感じの生活態度、唾吐きがある。 注意すると、烈火の如く逆上する。

■診断名:アルツハイマー型認知症
■処方薬:アリセプト
■私の見立て:LPC。 いつもぼんやりしている。 体幹傾斜あり。 時と場所をわきまえず夜中であろうと、大声で歌を歌い出す。

■診断名:老人性妄想症(調べたが、こういう名称の病名は見当たらない)
■処方薬:不明
■私の見立て:認知症ではない。 会話は極めて正常ながら、軽度の遅発性人格障害か遅発性統合失調症か?

■診断名:統合失調症(レセプトの関係もあるのかもしれない)
■処方薬:不明
■私の見立て:CBD(大脳皮質基底核変性症)。 左右差の著しい鉛管様筋固縮、プレコックス感、嚥下障害など。 左記の緩徐進行。

診断名と処方薬と症状の因果関係を知りたければ、薬の服用管理をしている看護師に訊けば一番効率が良いのだが、そういうことに一介護士(しかも、月並みの仕事しかできない)が口出しすると、イヤがられるし、喧嘩になるから遠慮してタッチしないことにしている。


【ワンポイント解説】
・医療情報提供シートの中で、認知症の診断名を過信してはいけない。 また、その処方薬がベストとは限らない。
・先ずは自分で鑑別すること。 (「診断」ではない、「鑑別」である。)
・医-看-介が連携して介護にあたろう。 生活のお世話だけが介護職の仕事ではない。
河野先生は、「コウノメソッドを学べば、認知症の鑑別診断は実は医師でなくても、画像機器がなくても、85%可能である。」という。 この言葉を信じて学ぼう。



音楽レクレーションでお奨めの一曲。 「丘を越えて」藤山一郎。
「丘を越えて」(おかをこえて)は、1931年(昭和6年)12月に日本コロムビアから藤山一郎の歌唱によって発売された昭和歌謡である。 1931年(昭和6年)に発表された新興映画『姉』の主題歌である。 (ウィキペディアより転記)



この歌のイントロは長い。 マンドリン演奏に耳を傾けるのもいいが、それでは少々間が持てないこともある。 それに第一、歌い出しが分かりにくい。 こういう時には、イントロ紹介と称して思いつきのアドリブで何か蘊蓄を並べることにしている。 それでも退屈な時には、大まじめに指揮者のマネをして指揮棒を振るのだ。 これが結構ウケる。

2014/06/09

どうやって認知症を勉強したらいいのか[3]

たぶん、英語であろうと物理であろうとどんな科目であろうと、費やした時間に対して直線的に成績が上がっていくことはないだろうと思う。
あくまでも経験であるが、何かの勉強をしていて、いくら時間を費やしても実感できる成績の伸びを感じない時がある。 
しかし、あきらめずにずっと続けていると、ある時ドンと伸びを実感できる時が来るのである。 そして更に時間をかけて勉強を続けていても、また伸びを感じない日々が続くのである。 「継続は力なり」である、やがてまたドンと伸びを感じる時がやって来る。
そのドンとやって来る「伸びの時」に出逢う前にあきらめてしまうから、月並みのところで止まってしまうのである。



さて、「どうやって認知症を勉強したらいいのか」という主題に移ろう。
4大認知症のうち、アルツハイマー型認知症(ATD)が60%程度とされているのだから、ATDから始めようというのもありかもしれない。
しかし、ATDは「除外診断」である。 レビーっぽくなくて、ピックっぽくもなくて、血管性っぽくもなくて、・・・・・と、やっていって最後にATDと決まる。 「・・・・」のところには、例えば、正常圧水頭症など認知症を生じさせる各種の原因疾患がはいる。

敢えて、順位付け、あるいは重み付けをするとすれば、レビー小体型認知症(DLB)とピック病(前頭側頭型認知症、FTD)を挙げておきたい。 もっとも実際は、認知症のタイプ別に優先順位を付けてというのは実用的ではないから、同時並行となるのだけれど。

ピュアなDLBであればさほど問題ではないかもしれないが、DLBがピック化したLPC(Lewy-Pick Complex)、それと、ピック病(FTD)が優先的に学習されるべきではないかと私は思っている。
何故ならば、前者のLPCは介護現場、あるいは患者家族が適切な知識をもって余程注意深く観察しておかねば、タイムリーな治療介入が得られないまま周囲が疲弊してしまうことになる。

後者はまだまだ認知度が低くて、ATDと誤診されることがある。 ATDと誤診されるのだから、お決まりの処方でアリセプトとなる。 そして、悲劇が始まるのである(このことについては、また別の機会に書こうと思う)。

 そういうことで、「ピック病の症状と治療」(著者:河野和彦先生)を紹介しておきたい。
この本を読むと、FTLDだけでなく、不思議なことにATDが見えてくる(ような気がする)。
前頭側頭型認知症に関する専門書は、日本国内に2冊しかなかったのだが、これも治療の発展を遅らせてきた一因かもしれない。
しかし、この「ピック病の症状と治療」を読めばピック病(前頭側頭型認知症)が解る。

因みに、ある必要性に迫られて、FTD、Pickなどを検索のキーワードに米国や英国の専門サイトを随分と調べたことがあるが、「治療方法なし」が大半で、「少量のアリセプトを処方する」などという記述しか見つけだせなかった。



私は前に、「序文から読みなさい。 序文には重要なことが書かれている」という主旨のことを書いたが、まさにその通りなので、出版元のホームページから転記させて頂く。


<はじめにより>
 アーノルド・ピックが最初のピック病症例を発表してから2012年で120年が経過したことになります。 ピック病を独立疾患として最初に認めた論文が日本人医師大成潔によるものだったこともあり、とくに日本ではピック病の名称が認められてきました。
ところが、「ピック病」は1996年以降マンチェスターグループによる前頭側頭葉変性症(FTLD)分類の下位に組み入れられ、その名称も消えようとしているのが世界の趨勢です。

驚くべきことに現在、インターネットで検索するとピック病という病名のついた書籍は2冊しかありません。 松下正明先生・田邉敬貴先生の対談集(2008)と万引きで一時は懲戒免職になった茅ヶ崎市職員中村成信(しげのぶ)さんの書籍(2011)です。

勤務医時代、大学からアルバイトに来ていた若い精神科医が統合失調症の遺伝子異常を研究しており「僕は教授になる」と公言していました。 彼にピック病の研究もしてくれないかと頼んでみたら「ピック病は数が少ないから論文を書いても引用数が伸びず教授にはなれないから」と言われ衝撃を受けました。
このような打算的な人たちが学会を構成している限り、患者数の少ない疾患はいっこうに診療技術が上がらないだろうと思います。 失語症候群を含めたFTLDには診断の難しい患者もいますが、多くは知識さえあれば簡単に見つけ出せ、簡単に病状を改善できます。 そのことを1日も早く世に伝えようとこの本を執筆することにしました。

私は画像診断学隆盛の現代において、臨床診断を重視しておられた田邉先生を尊敬しており、プライマリケア医に認知症の診断治療を期待しているコウノメソッド(著者の考案した処方マニュアル)の診断編においては、「臨床の鬼」としての田邉先生の魂を引き継いでいきたいという思いでいっぱいです。
松下先生も20年前に「天秤法」というアルツハイマー型認知症と多発梗塞性認知症の鑑別方法を考案された方で、長年私の目標としてきた方です。そのお二人が「ピック病」の名称を絶対に残したいという思いでおられることを知り、私はこの書籍の題名に「ピック病」を冠する責務を感じました。

また、題名を「診断と治療」にせず「症状と治療」にしたことにもわけがあります。 ピック病というと、なにやら得体の知れない診たこともない稀な病気と思われるでしょうが、各地の認知症外来ではおおかた15%であると報告されており、多くの臨床医がピック病を診たことがないのではなく、見過ごしているだけと思われます。 
ピック病と気づかないとアリセプト5mgで周辺症状が悪化する(激越性、常同行動)から問題なのです。

けれども、認知症診療経験が浅くCTという武器も持たない開業医に、ピック病をきっちり診断してくださいとプレッシャーを与える気は毛頭なく、「こんな感じの症状ですよ」と提示するにとどめようとしたのが「症状」という題名に込めた思いです。


他に、順不同で読んでおきたい本を以下に掲げておきたい。 何処に何が書かれているくらいのことしか覚えていないが、必要に応じて本棚から取り出して参照している。

<序文より>
この本は,急増する認知症の診療にプライマリケア医が積極的に参画できるようになるため,参考にしていただくことを目的としています。 プライマリケア医が認知症診療にかかわるべき理由としては,以下のようなことが挙げられます。

認知症の患者が急増して「専門医」だけでは対処しきれなくなっている現状がある。 病院の「専門外来」はパンク状態で,初診予約から初診まで3カ月もかかっている。

・神経内科や精神科では「効かなければ増薬」という処方が繰り返されることがあり,副作用の低減や介護のしやすさを目指していないため,介護者を苦しめている実態がありながら, それがなかなか改善されない。

・いわゆる「専門医」の中には,多忙のため介護保険の主治医意見書を書かなかったり,患者の介護について時間を割いて介護者と話さなかったりする者も少なからずいる。
とはいえ,多忙で画像診断機器を持たないプライマリケア医が,短時間で知能検査を行ない,CT所見も見ずに認知症を診断したうえで処方することなどできるのでしょうか。
ご安心ください。 できます。

過去に筆者が執筆してきた書籍は,これから認知症診療を始めるというプライマリケア医から絶大な支持を得ています。 「すぐに実践投入できる知識」「具体的な処方術」「目からウロコの知恵」「多くの医学書を読んできたが,初めて納得がいった」など,多くの感想も寄せられています。

筆者は,これまで28年間,認知症診療に携わり(そのうち20年は認知症外来), 日本一の認知症初診患者数(年間2,000人)を経験してきました。 診断もできず副作用を放置する医師の手にかかった大勢の患者に接して,認知症に対する処方術を世に広める意志や能力のない医学会に大きな疑問を抱いています。

筆者は,プライマリケア医こそが認知症患者を最期まで責任を持って診ていける医師だと考えています。 かかりつけ医は高齢患者にとって人生最後の主治医であり,安全な処方を心がけ,人間としても信頼されなければなりません。 心ない医師から冷たくあしらわれ,介護うつに陥ることもある介護者の心をも救う必要があります。

この本を通して,患者の素晴らしい人生を演出する劇的改善が可能な処方術を身につけてください。 認知症も改善に導くことができるということを知っていただくことが,この本の最大の目的です。 筆者が数万人の患者から学んで構築してきた「コウノメソッド」(認知症薬物療法マニュアル)を武器に,希望あふれる外来にしていただきたいと思います。
「難治」と思われていた患者が改善することの楽しさに,どうぞ目覚めてください。


<序文より>
2012年に出版した小著『コウノメソッドでみる認知症診療』は,認知症診療の総説でした。 本書はその続編で,改善症例をひたすら提示し,具体的にどのような処方をしたのか,その根拠は何であったのかを解説するものです。

改善症例の約1/3は,前医の誤った処方を直すことから筆者の仕事が始まっています。 前医の処方が誤っているのだから,その薬を中止すれば患者は改善するに決まっています。 その当たり前のことを述べるためになぜ1冊の本を書かなければならないのでしょうか。
実際のところ,歴史の浅い疾患である認知症の専門医などいるはずがありません。 ところが,精神科・神経内科・脳神経外科の中枢神経系3部門が認知症の“専門医”ということになっているのが現状です。 しかし,学会のアンケートを見ると,この3部門の医師たちのほとんどが認知症を診たいとは思っておらず, また得意でもないということは明らかです。

厚生労働省もこの3部門に認知症診療を期待しました。 プライマリケア医には,困ったら3部門にセカンドオピニオンを乞うよう指導してきました。 ところが,筆者の講演を聞いたケアマネジャーが連れてくる問題症例は,9割を超える確率で専門医による診療を受けてきた患者でした。 専門医が認知症を熟知しているという厚生労働省の前提は,みごとに裏切られたわけです。

特に深刻なのは,薬剤過敏性を特徴とするレビー小体型認知症への処方のまずさです。 知識をもたない一部の神経内科医はパーキンソン病のようなものだと思い,また一部の精神科医は表情が暗いから抗うつ薬で元気になるはずだと勘違いしています。 伝統的な自分たちの学問に付け足しをしただけの付け焼き刃的処方では,患者が改善するどころか高い確率で悪化し,医師にかからないほうがましだったという帰結になるだけなのです。

中枢神経系3部門の医師たちが,認知症患者急増のこの危機的時代にこそ認知症治療の特殊性を勉強し直し,認知症に必要な独特の処方をされることを期待しています。 その動きが起きなければ,筆者はプライマリケア医が効率よく自力で患者を治すシステムを世に広めていくしかないと覚悟しています。

したがって,本書の目的は次の通りです。
● 多忙な実地医家(プライマリケア医)が,自信をもって認知症診療に手軽に関われるようにする。
●画像なしでも大方の診断ができ,家族から評価される処方ができるようにする。
● コウノメソッド(認知症薬物療法マニュアル)を世に広める。
●抗精神病薬をシンプルに分類し,頭を整理できるようにする。
●典型例,難治例を掲載し,同じような患者に遭遇したときに,処方すべきイメージが思い浮かぶようにする。
プライマリケア医も,中枢神経系3部門の医師も,本書を通じて認知症に必要な本当の治療を理解し,実践してくれることを望みます。



<はじめにより>
レビー小体型認知症(DLB: Dementia with Lewy bodies)は、不思議な病気です。
薬の種類や用量を絶えず患者の病態に合わせて変えていかないと、よく効いていたはずの薬が次の週には副作用を生じるということすら起きます。

しかし、DLBの特性や薬剤過敏性を知っていれば、少なくとも自分の出した処方で病状をいっそう悪化させることは防げそうです。 そのために、私は急いで「正攻法」を世に伝える必要性を感じました。
DLBの治療は、老年医学の縮図です。 ただでさえ、薬剤の「安全域」(有効域と副作用が出現する用量の幅)が狭い老人であるのに加え、薬剤過敏性という壁があって、信じられないくらいの低用量でもDLB患者に強い副作用が起こり得ます。
この本は、忙しい医師、介護に疲れきったご家族のために、なるべく文章は簡略化して図を見ながら理解できるように工夫しました。




では、ATDはどうしたらいいのか? 実は、私はATDだけのことについて書かれた本を1冊も持っていないし、読んだことがない。 読んだことがないから、ここで書きようがない。
ただ言えるのは、上述の本でATDのことは足りるのではないかと思っている。 ATDが進行すればDLB化するのだから、ATDはDLBの亜型くらいにしかみていないのである。

2014/06/08

どうやって認知症を勉強したらいいのか[2]

前回「インターネット中心の勉強は・・・」という主旨のことを書いたが、今回はインターネットについて触れてみたい。 これは経験談なので、あくまでも参考程度に。 私は、インターネットなど世の中に存在しない時代に学生生活をやっていた古いタイプの人なので、紙媒体でないと理解できないのである。 手元に本という実態がないと忘れてしまうのだ。

「インターネットを活用しない手はない」、まさにその通りである。 いくら本を中心に、と言ってもそうそう本を購入する訳にもいかず、利便性の理由から最近はインターネット中心になってきた。
私がよく活用させて頂いているサイトを紹介したい。

 ・ドクターコウノの認知症ブログ
 ・ドクターイワタの認知症ブログ
 ・鹿児島認知症ブログ
 ・認知症を学ぶ会

これらを繰り返し読んで、分からない用語が出てきたら検索して調べて、必ずまた元の所に戻って来ること。 なお、最近の河野先生のブログは、内容が濃すぎて初心者には難しいかもしれないので、下記を紹介しておきたい。

コウノ博士の『認知症』大講義!


諺にあるとおり、「学問に王道なし」なので、地道に続けて欲しい。 そして、介護現場で先生、即ち施設利用者に教えてもらってください。
認知症の症状をずっと観ていると、症状と薬物療法の関係が良く分かってくる。 皮肉なことに、そしてとても残念なことに、望む効果なら良いのだが治療失敗事例がよく分かってくるのである。

「仕方ないよね、認知症は治らないのだから」と諦めの気持ちで観るか、「認知症は治せるはず」と希望を持って観るかで、認知症の先生方は実に様々なことを教えて下さるのである。  

私は業務のひとつとして技術セミナーの講師を担当した経験がある。 200名を超える受講生を教えた経験がある。 そこであるテクニックに気付いた。
初めからお手本として正しく正解に導く説明をするのではなく、わざと間違えて見せて、どうして間違えたのかを解説するのである。 こうすることで、より深く確実に理解させることができるのである。

残念なことに現在の認知症医療は、間違った治療で溢れている。 だから、「これがまずいね」というお手本はいくらでもある。 皮肉な言い方ではあるが、認知症という症状の本質と、誤った治療の結果や認知症と薬物療法の関係を容易に知ることができるのである。 
そこから、コウノメソッドを活用して正しい認知症の治し方を体得することができるのである。

私は医師ではないから治療そのものに直接手出しできない。 けれど、上述のことに気付いたから、認知症の方々から多くのことを教えていただけたのである。 逆に、治療が上手くいっている認知症の方々からは、殆ど何も学べていないのかもしれない。

【ワンポイント解説】
 ・テーマを決めてからインターネットを利用すること。 ただ漠然とネットサーフィンをやっていると収拾がつかなくなってしまう。

2014/06/07

どうやって認知症を勉強したらいいのか[1]

「どうやって認知症を勉強したらいいのか?」 その答えは簡単で、「認知症の人に教えてもらえばよい」 あるいは、「『この認知症の人と介護する家族を何とか助けてあげたい』と強く思うこと」である。
これでは禅問答のようでお話しにならないから、自分の経験を基に話しを進めたい。 但し、ただの経験談であるから、ベストなのかどうかは保証できないのでご了解頂きたい。

先ずは、認知症の全容を広く浅く理解できるような書籍を1冊読んでみること。 そして、用語(専門用語)を理解して覚えること。 前書きから後書きまで、繰り返し読むこと。 前書きには、結構重要なことが書かれている。 ついでに、目次も索引も読むこと。 
介護現場に出たら、施設利用者の中で、本で読んだような人が居ないか探すのである。 もし居たら、その利用者の様子をできるだけよく観察すること。

こういうことを毎日のようにやっていると、本に書かれていることの、たとえそれが1行であったとしてもそれが真の意味で理解できるようになる。 河野先生は、「患者様が先生」と仰るが、介護職者の場合は、「利用者様が先生」なのである。
例えば、ある連続する一連の会話の中で同じ話しを繰り返したり、同じことを質問するような人がいたら、「その人はアルツハイマー型認知症なんだ」と理解すればよい。 あるいは、「テーブルの下に人が倒れている」と心配していたり、怯えている人がいたら、「その人はレビー小体型認知症なんだ」と理解すればよい。 

このレビー小体型認知症のケースは実際に経験したことで、私は何が起こっているのかさっぱり分からなかった。 第一、利用者が倒れていたらスタッフ・職員が気付くし、倒れる前に転倒のリスクを察知してすかさず利用者の傍らに立って転倒を防ぎますでしょ。
こういう経験を積み重ねていくうちに、段々分かってくるし、解ってくる。

そうこうするうちに、読んだ1冊の本では足りなくなるから、更に詳しく書かれている本を買って読めばいい。 インターネットは、分からない言葉の意味を調べる程度に留めておいた方が無難かもしれない。 理由は、情報量が多過ぎて、「今、自分が認知症という症状の中のどこを学んでいるのか」分からなくなってしまうから。 実際、分からなくなってしまった。


一般向けの本ではないが、「老年期認知症ナビゲーター (Medical Navigator Series)」(メディカルレビュー社)という専門書がある。 この本を読んだが、これで「認知症の全容を掴めた」という気になった。 現実はもっと奥が深いのだが、とりあえず全容を掴むのに役に立つ。 
試験勉強をやっている訳ではないから暗記する必要はなく、「どこに何が書いてある。 だから、必要なとき、これこれ!」と、取り出して参照すれば良いのである。 但し、用語が解らないから、その用語を調べてその解説を読んで、更に解らない用語が出てきてまた調べて・・・ ということがよくある。

ある時、重度のアルツハイマー型認知症の人が鏡に向かって愛想良く話しかけている姿を見た(この人は抗認知症薬を服用していない)。 他者に迷惑をかけているわけではないから微笑ましい症状なのだが、早速この本で調べてみると、「鏡現象」であることが分かった。 6年余り介護現場にいるが、鏡現象を見たのはこの人のみである。 この本は重宝している1冊である。
こういう本に、LPC(Lewy-Pick Complex)が掲載される日が来るとといいと思う。 

【ワンポイント解説】
レビー小体型認知症をちゃんと治療している場合、抑肝散(ツムラ、54番)が処方されてる。 こういう場合、レビー小体型認知症によくあるBPSDのひとつである幻覚は生じないから、看護師さんが薬を配って飲ませる時、どんな薬が処方されているか見ておくのもテクニックのひとつ。

2014/06/06

ザ・ピック ーピック病の利用者に捧ぐー

私が介護の世界(通所介護)に足を踏み入れたとき、衝撃を受けたと同時に認知症への深い興味を与えてくれた人がいる。 Mさんとしよう。
Mさんは、娘夫婦と共に暮らしていた(過去形なのは、もう他界されたから)。 デイサービスの送迎車で自宅前まで迎えに行くと、玄関からなかなか出てこない。 
以下は、Mさんのいつもの様子(症状)である。

玄関から外に連れ出すのが一苦労。 なにしろ、こちらの言うことはほとんどまったく聞かないのである。 「我が道を行く」が如くである。 おまけに、家族(娘)には口汚く暴言を吐き続ける(「罵る(ののしる)」と言った方が適切な描写かもしれない)。 少しばかり幸いなのは、易怒(怒り易い)がほとんどなく、大声を出すことも少ないことである。 一般に、易怒や大声があるともう在宅介護は不可能である。 介護する家族がストレスで倒れてしまう。

何とか、騙し騙し送迎車に乗り込ませ、シートベルトを締める。 多分娘さんはご近所に対する恥ずかしさからであろう、母親を見送ることもなくピシャリと玄関をすぐに閉めてしまう。
ここまでくると、「しめた」ものだ。 移動の車中では、車窓から見える看板を読み上げる。 幻覚を見ているとは思えないが、外を指さし「あそこにカラスがいる・・・」などと作話を続ける。

さて、デイサービスに到着すると、降車させるのがまた一苦労である。 なにしろ、こちらの言うことをまったく聞かないのである。 聴力に障害がある訳ではない。 これがピック病の症状のひとつなのである。 

デイルームでは、座布団や他の利用者の持ち物を集めてまわる。 一見無意と思われる徘徊はない。 食事は一部介助であるが、自発的に食べることは少ないのでスプーンで食べ物を口に運んでやると、口をすぼめる。 異食は希にあるから、見守りが欠かせない。
排泄では、失禁がたまにはあるが、いくらかはセルフコントロールできている。 トイレまで誘導できれば、排泄をちゃんと済ませることもできる。 入浴はといえば、ご多分に漏れず大暴れである。 

ある時、「アリセプトとかの薬で治療していないのか」と家族に訊いたことがある。(当時、私はピック病にアリセプトが無効であることを知らなかった。)
すると、「アリセプトを飲んだら症状が酷くなったので、今は何も飲んでいない」と言う。

私はデイサービスから有料老人ホームへ異動となったが、後年になってMさんは在宅のまま天寿を全うしたと聞いた。 ピック病、現在では「前頭側頭型認知症」という分類に組み入れられているが、このピック病のMさんとの出逢いがなかったら今の私(認知症オタク)はなかったかもしれない。

【重要】
 ・前頭側頭型認知症(ピック病)をアルツハイマー型認知症と誤診されるケースが多々ある。
 ・前頭側頭型認知症(ピック病)にアリセプトを服用させてはいけない(BPSDは酷くなる)。
 前頭側頭型認知症(ピック病)は家族関係を崩壊させる程のエネルギーを秘めている。
 ・けれど、劇的に治しやすいタイプの認知症である。


前頭側頭葉変性症(FTLD)について 菊池病院 木村武実先生

2014/06/05

国会中継

「映画を観る」はレクレーションのひとつであろうが、「テレビを観る」はレクレーションには当たらないだろう。 けれど、テレビを観せる(あるいは見せる)ようにすることを、介護現場では日常的に行っている。 電気代がかかるくらいで、手間いらずで見守りができるのが嬉しい。

ところで、「高齢者」といえば、時代劇か相撲くらいにしか思っている人が多い。 
ある日のこと、たまたまNHKの国会中継がテレビに映っていたところへ認知症の人たちが集まった。 「すぐに飽きて徘徊を始めるだろう」と、私は思って様子を見守っていた。
ところが、5分経っても10分経っても誰ひとり動き出すことなく、じっと国会中継に見入っているのである。 中には、理解しているのかしていないのか分からないが、頷いている人もいる。

そもそも、日常会話すらおぼつかない認知機能レベルの方々である。 国会議員の答弁を理解できるはずがない。 こういう光景は見たことがないから、翌日も試してみたが、同様の結果である。
別のフロアで別の職員にも、テレビで国会中継を見てもらうよう頼んだ。 概ね、同じように、皆が国会中継を静かに見た。

偶然なのかもしれないが、次のことが推察される。
 ・ドラマに比べて画面展開が単調である
 ・画面に登場するのは数名であり、姿がズームアップされる
 ・答弁に立つ議員は、ゆっくり明瞭に話しをする

こういうシチュエーションは、認知機能の劣った人には理解されやすいとされる。 即ち、
 ・低音の大きな声で、
 ・ゆっくり話す
というようなことは、高齢者と話す際の基本である。 勿論、敬意をもって敬語で話すことは言うまでもない。 
どうも、国会中継がこの基本に合致しているのではないだろうかと思った。 今は担当する職務の都合で、施設利用者にテレビを見せながら見守りする機会が少ない。
機会があれば、継続的に「国会中継効果」を確認してみたい。

2014/06/04

懐メロを聴いて

音楽療法が認知症に有効であるという明確な根拠は見当たらないようである。 そもそも、音楽療法が認知症に与える効果を科学的に証明しようとすること自体が無理なことなのかもしれない。
科学的にどうのこうのということよりも、認知症高齢者がその日その日を無事に、そして楽しく過ごしてくれればそれで良いのである。

ここで紹介する「紀元二千六百年」は、1940年(昭和15年)に皇紀2600年を祝って作られた行進曲風の唱歌。 ラジオ放送によって広く流行した。(ウィキペディアより転記)


ある日のこと、少しばかりざわついていたデイルームで、たまたまこの楽曲が流れた。 すると、それまでざわついていた空気が一気に変わりしんと静まり返ったのだ。
「あっ、これだ!」と私は思った。 高齢者に馴染みのある懐メロを聴かせると喜ばれることは知っていたが、果たして最もふさわしい楽曲がどれかまでは分からずに試行錯誤していたのだ。

ところで、懐メロに最も反応が良いのは、第一期(軽度)~第二期(中程度)のアルツハイマー型認知症の人である。 ニコニコしながら手拍子を打ったり、首を振ってリズムに乗ってくれる。 中には、いつもは周囲にまったく無関心である人も、懐メロには反応する人もいる。
だから、もし音楽を聴かせるレクレーションの時間があれば、アルツハイマー型認知症の人をキーパーソンにその場を盛り上げるように誘導ればよい。

では、軍歌はどうか。 これは、意見が分かれるところである。 個人的・主観的なこともあろうが、私は構わないのではないかと思っている。 戦争を賛成する気持ちなどまったく持ち合わせていないが、かつて我が国は戦争を経験している。 
その当時のことを、唄を聴くことを契機に思い出すのも悪いことではないと思う。 ただ、軍歌を聴いて、当時の辛いことを思い出し、涙する人が一人でも居れば止めればいいだけのことである。

中には怒った人もいた。 「軍歌をかけるとは何事だ!」と蕩々とお説教されたが、その人は現役時代に教師をされていた。 それも、社会の教師である。 普段から認知症とは思っていなかったが、改めて認知症ではないと実感させられた。

果たして、どういう楽曲が好まれるのか? まず、「青い山脈」(藤山一郎)、「リンゴの唄」(藤山一郎・並木路子)などがすぐに思いつく。 戦前、戦中、戦後は、年間に発表される楽曲は現在のように多くはなく、従ってヒット曲といっても限られてくる。 インターネットで、「流行歌」、「ラジオ歌謡」などの言葉をキーワードに検索してみるのもいい。
また、NHK紅白歌合戦は昭和26年から放送されている「国民的一大行事」であるから、これに登場した歌手の持ち歌を調べて聴かせるのもいい。

2014/06/03

認知症治療薬は本当に有効なのか

製薬会社は営利企業であることは言うまでもない。 利益をあげてナンボの営利活動を行うのは当然であるが、患者のことを考えず営利追求のみに走られては困る。

YouTubeに、「診断・統計マニュアルDSM精神医学による悪徳商法」というのが公開されている。 第1回から第6回まであるから、是非ご覧頂きたい。

DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders、DSM)とは、精神障害の診断と統計マニュアルのことである。 精神障害の分類(英語版)のための共通言語と標準的な基準を提示するものであり、アメリカ精神医学会によって出版されている。DSMは当初、統計調査のために作成された。DSMの第3版より、明確な診断基準を設けることで、医師間で診断が異なるという診断の信頼性の問題に対応した。(ホントだろうか?)

認知症の診断にDSMが直接的に用いられることはないが、製薬会社と大学の研究者や医師との癒着を端的に著しているので、DSMを1例として取り上げた。 認知症治療薬についても同様なのである。
製薬会社がスポンサーとなっている学会では、
 ■「薬の処方量を減らせば、認知症のBPSDは改善される」という論文は却下される。
 ■「薬の処方量を減らせば、認知症のBPSDは改善される」という演題の発表は却下される。

ということが横行していることくらいは、是非知っておいて欲しい。
そういう学会で学んだ治療方法では、認知症を治すことに期待はできないことが多いのである。

一般的に言って、製薬会社の規定する用法用量以下の低用量で服用する方が効果があり、副作用を最小限に抑えることができる。
事実、アリセプト(抗認知症治療薬)の服用量を半減したり、中止したことでBPSDが緩和されたという話はよく見聞きする。

2014/06/02

医師任せでは認知症は治せない

認知症治療に関する1冊の実用書を紹介したい。「コウノメソッドでみる認知症処方セレクション」である。


この本は、日本医事新報社から発刊された河野和彦先生(名古屋フォレストクリニック院長)が著した「コウノメソッドでみる認知症診療」の続編だ。 前著を総論とすれば、「コウノメソッドでみる認知症処方セレクション」は各論とも言える。
私は医師ではなく介護福祉士なので診断も処方もできないが、医療-看護-介護の範疇を超えた視点で認知症を理解するために河野先生の著書をいくつも読んでいる。 ひとつの大きな理由に、実際的・実践的な事例として症状、処方、作用/副作用が示されていることにある。

国際老年精神医学会、他の諸学会では、認知症のBPSDへの第一選択肢は非薬物療法で、第二選択肢は薬物療法とされるが、現実はそんなに甘くはない。 介護現場に居ると薬物療法の不適切さが目に付く。 勿論、非薬物療法さえも十分とはいえない。食事、排泄、入浴などのお世話だけで手一杯というのが認知症の人を取り巻く厳しい介護の現実だ。

そういう厳しい現実に加え、的確な診断と適切な処方がなされていない故に生じる認知症のBPSDがもたらす、更なる負担とストレスにはもううんざりしている。
■前頭側頭型認知症にアリセプト(一般名:ドネペジル)投与で、終日唸り声をあげる在宅の人
■ピック病(前頭側頭型認知症)を診きれず、在宅の家族が苦労している人
■レビー小体型認知症の幻覚・妄想を治してもらえない在宅の人
■アルツハイマー型認知症の易怒性、徘徊などのBPSDに辛い思いをしている家族
こういう事例を挙げると際限なく書き連ねることになる。

さて、私は学会誌を4年間ほど購読し、介護現場で見る症例と照らし合わせる作業を続けてきたが、河野先生の著作に出逢ってからは格段に認知症に関する理解が深くなったと思う。 逆に言うと、いくら学会誌・専門誌を読んでも臨床現場で治療に役立つ実践的知識はあまり得られないということである。 但し、原因究明、予防などの基礎研究は重要であり、それを否定しているのではない。
 

何故こういうことが言えるかというと、ピュアなレビー小体型認知症すら治せずにいるケース、前頭側頭型認知症(ピック病)をアルツハイマー型認知症と誤診してアリセプトを処方しているケースなどを多数目の当たりに見ているからである。
これは、特定地域に限定したケースかというと、そうではなく全国各地で「認知症医療過誤」の事例は発生している。

認知症の原因である各種疾患の根本的治療は現在のところあまり望めないものの、「認知症は治る」というコモンセンスを医療関係の方々のみならず、認知症の人の家族も持って欲しい。
医療関係者のみならず、介護支援専門員、(特に)施設介護に携わる方々にもこういう実用書で勉強して、納得のいかない不適切な診断や処方には毅然とした態度で、不適切な診療を指摘して医師がまともな治療をするよう要請しなければならない。

医師が認知症を勉強して治療をするのは当然のこととして(実際はあまり勉強していないことが多い)、医師以外で認知症の人の看護や介護に携わる人もしっかりと勉強してほしい。  医師任せでは認知症は治せないのである。 医療・看護・介護など学際的、かつ統合的なシステム連携が必要なのである。


2014/06/01

認知症医療と介護の融合

デジタル診療全盛の昨今、認知症はアナログ診療の最たる分野であるといえる。
患者の症状を診て、患者に触れて、患者と家族から話しを良く聴いて診断し、
薬を処方しなければならないアート(職人技)の医療分野なのである。
それだけに患者家族や介護施設職員も認知症とその治療方法について
学ばなければ望むような治療成果を享受できない医療分野なのである。


認知症は医療だけで自己完結できない。 どうしても家族・施設を問わず医療と介護との融合、すなわち適切な共通のプロトコルをもって対応しなければ望むような解決には到らない。
「医療は医療で、介護は介護」などという旧態依然としたおかしな棲み分け・セクショナリズムを堅持する限り、まともな認知症医療は望めないし、平穏な介護環境を享受することはできない。

ここでひとつ確認しておきたい。
認知症への対応は、
非薬物療法療法は第一選択肢
薬物療法療法は第二選択肢
であるという、古い考え方は捨てなければならない。 これは、認知症が治療でどうにもならなかった頃の詭弁であり、現在では「認知症は治る」と言っても決して過言ではない時代になってきている。 
「認知症は治らない、だから非薬物療法が第一選択肢です」というのは、認知症を治すことのできない医師の言い訳の常套句なのである。

勿論、すべてが薬物でどうにでもなると言っている訳ではない。 薬物治療ではどうにもならないことはいくらでもある。 それは、認知症に限らず他の診療科目とて同様である。

改めて確認しておきたい、
第一選択肢は薬物療法
第二選択肢は非薬物療法
なのである。
認知症の患者個々の症状を診て、その症状に合わせてテーラーメイドで薬を処方すれば、多くの認知症患者とその家族、あるいは施設介護者は救われるのである。 このことは既に多数のコウノメソッド実践医が日々の臨床で証明している。

超高齢社会の到来(認知症爆発)を目前に、日本国民は総力を挙げて「認知症爆発時代」に備えなければならないのである。