2014/07/30

認知症になったら真っ先に読む本[2]

もう一度、岩田先生の「認知症になったら真っ先に読む本」を読み返してみた。純然たる認知症医療の問題点(誤診と不適切な処方薬)は既に分かっていたから、今回はもっと包括的な視点で見た。
ひとつのキーワードは、多職種連携である。医師がちゃんと認知症を診ておらず、従って家庭介護あるいは施設介護の現場が多大な迷惑を被っていることは、ここで改めて述べるまでもない。 

医師が認知症を治せない主な理由は、ひとえに勉強不足である。自分が得意とする主たる診療(看板で標榜する診療科目)の傍ら、「ついで」に認知症を診ているのであろう。つい先日、市立病院で「アルツハイマー型認知症」と診断されアリセプト5mgを処方されているショートステイ利用者を立て続けに2症例見た。1例は紛れもなくピック病で、もう1例はピックぽいところもあるが鑑別に迷うところもある。後者の場合、診断に囚われず「対症療法」で、アリセプトを半減するか、グラマリ-ルを追加して様子を観れば良く、コウノメソッドの「家庭天秤法」を採用すれば良いのである。いかんせん、私にはどうすることもできないから、同居の家族の介護にかかる心労を思うとやりきれない。 

こういうケースばかり見ているストレスというのも何だか悲しい。そもそも、何も知らないで、「これが介護だ」と暗黙のウチに体制に従っておれば気軽だったかも知れない。そういう訳にも行かないから、できる範囲で現実を直視して自分にやれることを地道にやって行きたい。

医療単独の問題点はさておき、この本で述べられている多職種連携に焦点を当ててみたい。
認知症学会とか医師会といった「権威」あるところに頼っていたら、いま現実的に人々が抱えている認知症の問題は何百年たっても解決しません。患者さんやその家族も含めた医療・介護の草の根でしっかりしたネットワークをつくり、それを利用する仕組みをつくってしまうことが、早道ではないかと考えています。(p.196より転記)
この本は、2012年11月に初版が発売されたが、当時も現在も何も変わっていない。このことは、岩田先生がご活躍される地域に限ったことではなく、遠く離れた地方に住む私の地域でも同様のことが言える。上に挙げた事例で、もしも多職種連携が図れているならば、ショートステイ利用者は介護上の問題が少なくてショートステイを利用せずに自宅に居るかもしれないし、利用中に介護上の問題を露呈することなく普通に滞在しているだろう。

・薬物療法の開始後、家族が異変に気付いて主治医に相談する。
・ケアマネが異変に気付いて、家族を通じて主治医に相談する。
というような方策を講じていないとすれば、そこに「情報武装」の欠如が存在することになる。家族にその情報武装を求めるのが酷な状況であれば、ケアマネがしっかりサポートしなければいけないのである。せめて、「処方薬に疑義有り」くらいのことは遠慮無く言ってもいいと思うのである。
 


発行元の現代書林のホームページに「立ち読み」としてPDFファイルが公開されているのでご覧頂きたい。この本は、日本脳神経外科学会 第72回学術総会モーニングセミナー「認知症は治せる」の座長を務められた堀先生(認知症治療研究会 代表世話人)が、「非常にアトラクティブな本」と評されていたので興味を持ち購入した。私は目から鱗であった。 

もし、この本を出版直後、真っ先に読んでいたら現在直面している私の課題解決がいくらか早まっていたかもしれない。ある意味、「認知症になったら真っ先に読む本」は戦略本であり、「ドクターイワタの認知症ブログ」は戦術と言えるのではなかろうか。言うまでもなく、戦略あっての戦術であり、戦略なしの戦術のみというのはあり得ないのである。

従って、この本を数回くり返し読んで、ブログに公開された症例報告を丹念に見ていくうちに自然と認知症の理解が深まってくる。因みに、「第3章 症状も治療方法もまったく異なる、認知症の病型を知る」で、①ピック病(前頭側頭型認知症)、②レビー小体型認知症、③アルツハイマー型認知症、④脳血管性認知症 という順番で記載されているのだが、一般に言われる認知症のタイプ別頻度順ではない。「介護負担順」であるし、「社会問題順」でもあるし、「横行する誤った認知症医療順」であるとも言える構成のように思うのは私の深読みであろうか。

2014/07/26

現場で観るピック病

現場で観るピック病[2]

私の認知症に関する最大の関心事は、認知症の約60%がアルツハイマー型認知症(ATD)とされているからと言って、このATDではない。 前頭側頭型認知症(FTD)であり、前頭側頭葉変性症(FTLD)である。 そのひとつの理由に、症状があまりに多彩であり、介護者にかける負担があまりにも大きいからである。
 
認知症の周辺症状はその人の性格に修飾されることもあるし、周囲の状況に左右されることもあるが、それだけの理解では不十分である。 
また、「トイレに行きたくて不穏になった」とか、「寂しいから不穏になった」という理由付けでは到底説明できないのである。 勿論、こういう不穏の理由を否定しないが、それだけではストレスが募るだけである。 
介護の世界では、上述のようなレベルでしか認知症を理解していない。 極めてお粗末と言わざるを得ないのである。

前頭側頭葉の機能のどこに(複合的に)障害があるのかということを知って納得しておいた方がよいのかも知れない。 そこで、今回は前回に引き続き、更にFTLDについて見ていきたい。 以下はドクターコウノの認知症ブログからの転記である。 (膨大な情報からファイルに適宜保存して勉強材料にさせて頂いているが、URLが分からないのでここには記載していない。)


FTLDは全員が前頭葉に障害を持つが、更に一歩踏み込んでみてみる。
①前頭葉そのものの障害として病識欠如、自発性低下になる。 前頭葉は人間らしさ(活力、豊かさ)を司るからである。 前頭葉でも穹窿面(きゅうりゅうめん)、外側の機能に障害がある場合である。 


②後方連合野の前頭葉による制御がはずれると、短絡的、反射的、無反省となり、ひいては模倣行為(医師のしぐさを真似する)、反響言語(オウム返し)、強迫的音読(急にポスターの文字を大声で読む)、使用行動となる。

③辺縁系の前頭葉による制御がはずれると、脱抑制、わが道を行く行動(田邉)、盗癖、考え無精、鼻歌、立ち去り行動を起こす。
この行動こそが、典型的なピック病と感じるタイプである。

④大脳基底核の前頭葉による制御がはずれると、常同、滞続、強迫、反復の行動や言語となる。 これも「ザ・ピック病」と言える症状で、アルツハイマー型認知症ではこのようにはならない。 ③と④は、前頭葉眼窩面(下の方)が責任病巣と言われる。

以上のように、前頭葉、側頭葉など、どの部位に障害があるのかということを知っておくことで、一見すると奇妙に見える症状も、系統的に整理がつく。 私はCTの画像を観ることはできないから、症状を観て、「ははぁ~、この人はおそらく前頭葉眼窩面の萎縮が強いねぇ~」などと理解している。 なお、CT画像に関しては、鹿児島認知症ブログに分かり易い掲載があるので、そちらをご覧頂きたい。


介護現場では、「お風呂に入って、気分をさっぱりしましょう」などという声掛けは必要なことであるが、こういう声掛けをしても聞き入れない人は絶対に聞き入れないのである。 仮に、脱衣室や浴室にうまく連れて行っても、大声を出して暴れる人は暴れるのである。
怪我のリスクが増大するような状況下でストレスを溜め込みながらお世話するよりも、ウィンタミンを服用して落ち着いた状態で入浴してもらう方が現実的で賢明な選択肢なのである。 実は、私は入浴介助を頑なに拒み大暴れする利用者と格闘となり、ガラスサッシのドアに投げ飛ばされあわや大怪我をするところだった苦い経験がある。 馴染みの関係にあっても、こういう事態になるものである。

ある程度規模の大きな施設で入浴介助を担当するのはパートのおばちゃんである。 不思議なことに、大方の人は気立てが良くて、利用者に対して本当に良くしてくれるのである。 こういう方々に不必要で理不尽な負担を強いてはいけないのである。

不運なことに入浴中に怪我をして事故報告書に、「注意不足でした」と自虐的・文学的なことを書き連ね介護現場の責任として自己完結するか、医療と連携してウィンタミンの処方で気持ち良く入浴を済ませるか、どちらが良いのかは言うまでもない。


介護施設に入れたくない理由

私は自分の親を絶対に介護施設には入れたくないと思っている。 介護施設に勤務しているから思うことであろうか? 日常業務の過酷さに加えて、問題点も見え、うんざりすることも多々あるので、介護施設での現状と問題点を指摘しておきたい。 
以下に述べることは、「介護施設は医療機関ではない」と反論されるかもしれないが、もしそうであるとしたら、「介護現場からこういう指摘が出ないように、なすべきことをちゃんとやってますか?」と逆に問いたい。 (実際、「ここは、医療機関ではない!」と叱られたこともある。)

(1)施設に入れると医療受診機会を逸する
DLBはLPCに遷移することがある。 だからそれに気付いたら、施設嘱託医に伝えて処方を変更する必要がある。 一般には、「ボケが進んだ」、「年だから仕方ない」という程度にしか捉えられないのである。 
強度の摺り足歩行と軽度のボケ。 但し、尿失禁は極めて希という利用者が居る。 その人と話しをしていて、少なくともATDではないことくらいすぐに分かる。 にも関わらず、近隣の市民病院の内科からアリセプトが処方されている。 私なら、正常圧水頭症疑い有りとして、脳神経外科に連れて行く。 しかし、施設というおかしな「掟」で、それができないのである。
こういう例はいくつもあるが、切迫した生命にかかわる病気か、看護師に理解できる病気以外は放置されている。 だから、私は施設に入れたくないのである。

(2)寝かせきりになることがある(「寝たきり」ではない)
認知症で手のかかる利用者は寝たきりにせざるを得ないのである。 施設という集団生活の場に適応できない利用者は、残念ながら寝たきり/寝かせきりにならざるを得ないのである。 

(3)面会の頻度が多い程、良くしてもらえる
家族が頻繁に面会に来てくれる利用者と、そうではない利用者。 やはり、前者をより大切にする。 成年後見人制度を利用している身寄りのない利用者は別として、自分の親を粗末にするような家族のために奉仕するほど余裕はない。 正直なところ、そういうものである。 

(4)介護の手のかからない人ほど割に合わないことを強いられる
手のかからない人というのは、自立度が高くて転倒などのリスクの低い人である。 こういう利用者は思慮分別もしっかりしており、社会適合能力もあるから、「待つ」、「譲る」、「遠慮する」ことができる。 
だから、認知症のため手のかかる人が側に居れば、そちらに介助の時間が向けられるため、その間待たされるのである。 時には、不当に待たされてしまうこともあるのだ。 気の毒であるが、仕方ない。

だから、できるだけ在宅で最期まで暮らし続けて欲しいのである。 ここまで書き連ねてみると、「患者を守るか、家族を守るか」という二者択一の状況にある時、「家族を守る」というコウノメソッドの意味が良く解るのである。 できるだけ家族で、認知症の人を最期まで看て欲しい。
認知症に関しては、極めてお粗末極まりないのが実情である。 これはある意味、教育に問題があると思ったので、トップダウンで施設が総力を挙げて有効な教育システムの構築をするようにと提案したのだが、まったくの進展をみないのである。 こういう施設の看護・介護職員に、ゆとりある看護・介護のできる日は来ないだろうし、施設の未来は暗く、利用者が迷惑を被る機会が増えるだろうと思った。 

岩田先生の「認知症になったら真っ先に読む本p.180 に「レベルが低すぎるぞ、施設の嘱託医」という見出しの文がある。 状況こそ違え、「レベルが低すぎるぞ!」ということに変わりない。


しっかりしてね、NHK!

認知症800万人"時代 認知症をくい止めろ ~ここまで来た!世界の最前線~ が放映された(2014年7月20日(日)午後9時00分~9時58分)。  青色表記は、ホームページより転記。
これまで認知症は、ひとたび発症すれば決してくい止めることのできない“宿命の病”とされ、いつできるとも知れぬ画期的新薬の登場に望みがかけられてきた。 しかし今、世界各国の認知症対策の最前線では、全く違うアプローチに注目が集まっている。 認知症とは何の関係も無いと思われていた“糖尿病”や“高血圧”などの既存薬を投与したところ、発症直後の患者の記憶力の低下がくい止められたという医学的な報告が相次いでいる。 更に、症状が進行した患者でも、“脳の残存機能に働きかける介護法”で、症状を改善できることもわかってきた。 最新の脳科学の知見を手がかりにしたこれらの方法を、認知症人口の爆発直前の今、広めることができれば、破綻も回避可能との見方も出始めている。 番組では、日米欧のホットな対策の現場を緊急報告。スタジオではそれをもとに、認知症の進行度合いに応じて、私たち自身、そして日本の医療・介護の現場が、今すぐに出来ることは何かについて、徹底的に議論してゆく。
認知症の進行をくい止める方法が見えてきた! 世界の認知症対策の最前線では、全く新しいアプローチに注目が集まっている。 認知症とは何の関係もない既存薬を投与したところ、記憶力の低下がくい止められた。 はいかい・暴言などの症状が進行しても、ある介護法で症状を改善できることにも注目が集まっている。 日米欧のホットな対策の現場を緊急報告。 日本の医療・介護の現場が、今できることは何か徹底議論する。

あまり期待せずに観たが、予想通りがっかりした。 やはり、認知症=アルツハイマー型認知症であり、結局のところ介護に視点が置かれていた。 

「ユマニチュード」という聞き慣れない言葉が登場したが、これは従前からある「タクティールケア」に似ていると思った。 私はこれらの効果を否定する気にはならない。 実際、本格的に実践してはいないが、言葉かけのテクニックや身体に触れることで一時的に介護拒否を緩和させることができることは経験しているからだ。

しかし、人手不足の介護現場でひとりの利用者に20~30分間も関わるゆとりはないし、もしそれだけの時間関わっていたら、周囲の職員から注意を受けることは間違いない。
結局のところ、この番組もまた認知症医療の核心に触れることなく終わったように思うのは私だけであろうか?  
民放各局にしても同様である。 いつまで経っても、アルツハイマー型認知症とその予防に衆目が集まるように番組構成されているが、介護現場で切実な問題は、ピック病、LPCであり、アリセプトをはじめとする抗認知症薬などの不適切な投与がもたらす問題行動なのである。 

民放はスポンサーである製薬会社とのしがらみで、正面切って取り上げることができないであろうが、既存の学会・製薬会社と診断基準、用法・用量規定の問題などを報じて欲しい。 実は、過去に生じた薬害事件を遙かに凌駕する由々しき問題なのである。 問題点が問題点としてクローズアップされ、厚生労働省が真面目に取り組んで適正化しない限り、認知症という社会問題は解決されないと思う。 ここでは詳しく記さないが、私の近い親戚は、間接的とはいえ抗認知症薬が原因で殺されているのである(DLBにアリセプト)。


しっかりしてね、厚労省!

お役所は大嫌いである。 ハコ物行政は言うまでもなく、大概のことで無駄遣いが多いからだ。 私の住む街にも、赤字で民間に転売したハコ物、利用頻度の少ない塩漬けの埋め立て地も点在する。 さて、認知症医療は・・・

(引用始め)認知症の精神科入院に状態像の基準 ― 厚労省の研究会が作成 (2014年3月12日)
認知症で精神科に入院する高齢者の対応を協議していた有識者の研究会が12日、国への提言を盛り込んだ報告書をまとめた。
入院が必要な認知症の状態像を、基準として示していることがポイント。 基準は症状の重い高齢者を想定し、「家族など介護者の生活が阻害され、非薬物治療では改善がみられず、拒薬や治療拒否があり、認知症を専門とする医師の入院による治療が必要な場合」に設定。 具体的な状態として、
① 妄想や幻覚が目立つ
② 些細なことで怒りだし、暴力などの興奮行動に繋がる
③ 落ち込みや不安、苛立ちが目立つ
 などをあげ、精神科への入院をこうした患者に絞っていくべきだと意見した。
(引用終わり)

上記の症状は、LPC(Lewy-Pick Complex 、レビー小体型認知症にピック症状が合併したもの)か、ピック病であると思われる。 こういう症状は残念ながら、殆どの精神科では治せず、期待する治療成果を得られないと思っておいた方が賢明である。 事実、治せない病院を近隣にみることができる。 
但し、コウノメソッド実践医の元に駆け込めば入院しなくて済む可能性は大きいのである。

現場を知らない厚労省のお役人が相変わらずこんなことに時間と予算をかけているのだから困ったものだ。 非薬物療法で改善を望むこと自体が無理なのである。
マスコミについても大同小異である。 大雑把に言って認知症患者400万人、予備軍400万人の現在である。 社会的問題のひとつとして報じられて然るべきである。 
しかしながら、何かしら核心を突くことなく、いまひとつしっくりと行かない印象を持つのは私だけであろうか? 



今週の一曲

喜びも悲しみも幾歳月は、1957年に松竹が制作・公開した、木下恵介監督の映画作品である。 海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る燈台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。 若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
この歌を聴かせて、「喜びも悲しみも幾歳月のシネマを観に行ったことのある人?!」と話しを振ってみると、「観に行ったことがある」と答えてくれる利用者もいる。 「私も観た」と調子を合わせる。 無論、私が生まれる前の映画であるからウソである。 「この映画を観て、灯台守になろうとした人も居るんですよ・・・」などとアドリブで話しを進めるのである。




2014/07/19

現場で観るピック病

現場で観るピック病[1]

アルツハイマー型認知症(ATD)は認知症全体の60%くらいを占めると推計されているからと言って、ATDを深く知ろうとすることよりむしろ他のタイプの認知症を深く知ることの方が現実的で良いのではないだろうか。 
ATDとの対比で見た場合、前頭側頭型認知症(FTD)をしっかりと識別できるようになることで、逆にATDが見えてくるように思う。 ここで、FTDとはピック病のことである。 これは実際、ピック病であるにも関わらず、ATDと診断されている人を実際にお世話しているから実感である。 
以下は実際に遭遇した症例である。 以下の本文中、青色表記の文言は「前頭側頭型認知症介護者・ご家族様へ」(国立病院機構 菊池病院)を参考にした。


常同行動
決まった時間に決まった行動をする
まったく無意味であると傍目に思うが、窓辺から往来するクルマの数を数えている。

同じコースを、毎日2回以上歩きまわる
どうみても徘徊ではなく、本人にしてみればある目的を持った、いわば周回のように同じコース(廊下)を歩く。

同じ内容の話しや言葉をくり返す
「ちょっと、ちょっと」と目に付いた職員を呼び止めて、「あっちに行きたい」とか、「私、いつ帰るの?」と同じことを訊く。 ATDの場合と異なり、ある連続する会話の中でではなく、わざわざ呼び止めて同じ内容の話しや言葉をくり返す。 ATDとは異質のくり返しの話し方である。

同じものばかりを食べる・同じメニューをつくる
お膳にある主食のご飯やおかずのお皿を、単品ずつ食べ続ける。 ひと皿を完食してから次の一皿というようにである。 ただ、この行動はVaD(血管性認知症)の場合にも生じることがある。 ATDではあまり見られないが、ピック化したらこういう行動が出始める。

絶えず膝を手で擦り続ける・手でパチパチと叩く(反復行動)
寒いときに足や手先を温めるが如く膝や手を擦る行動をとる。 これは暑さ寒さに関係ない。 
神社でお祈りをする時に柏手(かしわで)を打つが、これに似ている。 パチパチと手を叩くのである。 聞こえてきた音楽のリズムに合わせて手を叩くのとは状況が異なる。 排泄介護で尿取りパットを交換している最中にでも状況を考えることなくパチパチと手を叩く。 叩く回数は、概ね、2~6回程度である。


脱抑制
本能のおもむくままの行動(わが道を行く行動)
介助中にも関わらず、介助に協力する意思がまるでなく、好き勝手に四肢を動かす。 大きな声で叫び続ける。 昼夜問わず、10分おきに「おしっこ、おしっこ」と言ってトイレに行きたがる。 制止すると逆上して屁理屈を言うこともある。 屁理屈ではあるが、ATDとは異なり、理路整然としていることもある。

万引き・痴漢・放尿
施設内だから所謂万引きはないが、隣の人のお膳からお皿を盗ったり、お膳丸ごとを盗ったりする。 衣服や持ち物を盗ることもある。 全員が車椅子に乗り、紙オムツを使用しているので、所構わず放尿する光景は見たことがない。

周囲や他者への配慮や礼儀に欠ける
何か介助してもお礼を言わない。 ATDの人は必要以上に何度も愛想良くお礼を言う。
周囲の人の目を気にすることもなく、突然衣服を脱ぎ始める。

時として、衝動的な暴力行為
スイッチ易怒である。 何も怒るような刺激を与えていなくても、スイッチが入ったかのように突然怒りだし、暴力をふるう。 手加減などなく、おもいっきり介護者の手をつねる、ひっかく、噛みつくといった行動をする。 VaDでもこういう暴力行為がみられることがあるが、これは何らかの刺激に対して生じる。

過ちを指摘されても、悪気なくあっけらかんとしている
床に唾を吐いていて注意されると、あっけらかんとして反省することなくまた唾を吐く。 ATDの人は唾を吐くことはない。 周囲に迷惑をかけるような常同行動に対する指摘でも悪気なくあっけらかんとしている。


被影響性の亢進(影響されやすさ)
相手の動作を真似する
遭遇したことがない。 但し、この性質を利用して、座って欲しいときに、こちらが先に座ってみせて着席を誘導するテクニックに使うことがある。

目に入った文字をいちいち読み上げる
送迎中のクルマの車窓から見た看板を読み上げるという行動。 あるいは施設内で壁に貼られた掲示物を読み上げるとう行動。 大声で読み上げなければ問題なし。


注意・集中力低下
落ち着かず、ひとつの行為が続けられない
座り続けることすらできず急に立ち上がったり、食事が最後まで続けられない。

関心がなくなると診察室や検査室から出て行く(立ち去り)
面会に来た家族や親戚が居るにも関わらず、その場からスーっと立ち去っていく。


感情・情動の変化
初期から感情の変化が乏しくなる

理由なくニコニコする一方、不機嫌なときがある
いつもニコニコしていて、時々すっとんきょうに大きな笑い声をあげる。 あるいは、笑うような状況にないにも関わらず、急にクスクスと笑い出す。 そして不機嫌になったりもする。

他者と共に笑い、共に感動するといった情緒的交流が少なくなる
笑いを誘うような会話の場を作っても、どことなくよそよそしいしい印象である。 


病識の欠如
自分が病気であることの自覚がない、受診や通院が困難になる
病識はまるでない。 ATDの初期の頃では病識があり、「自分はおかしい」と発言する人もいる。


自発性の低下
家事をしなくなる
施設では家事はないが、レクレーションや体操の場にいても参加することなく、無関心である。 

常同行動以外は何もせず、ゴロゴロしている
ADL低下が著しく寝たきり(あるいは、寝かせきり)になると、覚醒時は常に指をしゃぶり続けることもある。

質問をしても真剣に答えない(考え不精)、あまり考えずに即答する言動(当意即答)
FTLD検査セットで、「猿も木から落ちるの意味は?」と尋ねたら、「分からん!」と即答する。 


以上、実際に観た約10数人のピック病の利用者の症例である。 
こういう症例は、「ピック病の症状と治療」を読むまでは、さっぱり理解できずにいた。 「前頭側頭型認知症(FTD)」は概ねピック病と捉えておけば良いのだが、上記のような症例を観て「ピックっぽいね」と鑑別できればスッキリする
意外なことに、「ピック病の症状と治療」を数回読み返したことで、逆にATDのことも分かってきた。
鹿児島認知症ブログに、前頭側頭型認知症を分かり易く解説されているのでご覧頂きたい。






3症例目のCBD

CBDとは、大脳皮質基底核変性症(corticobasal degeneration)のことである。 前頭側頭葉変性症(FTLD)の下位分類に属する、認知症の原因となる疾患のひとつである。
私はこのCBDの症例を現在までに2人の施設利用者から教えて頂いただろうと推測している。 1例は何処かの病院でCBDと診断された人(但し、治療には失敗している)。 もう1人は症状から推定しているだけなのであるが、まず間違いないだろうと思う。 後者は皮肉なことに、CBDと診断されておらず、従って投薬が不適切であるから、CBDの特徴を掴みやすいのである。

最近、後期高齢者(75歳以上)のKさんが入所した。 寝たきりである(「寝かせきり」と言う方が正確なのかもしれない)から介護に手がかからないのだが、初対面の時から何となく違和感を感じていた。 少なくともATDでも、DLBでもないのは明らかである。
近頃、この「何となく」という一種の勘が鋭くなってきたように思う。 これは、FTLDの理解が深まってきたからだと思っている。

私がKさんにトロみのついたお茶を飲ませている時、「美味しくないから、もう要らない」と消え入るような小声でゆっくりと言うのである。 また、お茶を飲ませながら、「私の母と同じ年齢ですね」と話しかけると、「あら、そう」と答えるのである。 言葉のキャッチボール(コミュニケーション)がちゃんとできている。
挨拶やいくつかの短い会話を重ねるうちにADTではないことは早くから解っていたのだが、何とも形容のしがたい雰囲気が気になっていた。 プレコックス感である。

ある日、ベッドから車椅子に移乗する際に、両腕を肩を中心にしてと、肘を中心にしてゆっくりと曲げてみた。 歯車現象はないが、鉛管様筋固宿があり、なおかつ上肢に著しい左右差があった。 また、上下注視麻痺の検査をやってみたが、これは正常であった。 また、食事は全介助であるが、嚥下動作は極めてゆっくりしており、まだ軽微ながら誤嚥のリスクがある。
私は、上述のようなことを総合して、KさんはCBDだろうと推定した。 

そこで、まったく当てにはしていない個人情報ファイルを見てみることにした。 そこに、「老年性認知症」と書かれていた。 笑った、そして怒った。 今でこそ、「老年性認知症」という名称は消えようとしているが、これはアルツハイマー型認知症(ATD)のことであろう。 FTLDの診断基準が整備されて日が浅いし、その認知度はまだ低いのだから仕方ないとは思う。

しかし、「施設受入時に、認知症に関しては前医の診断を鵜呑みにするな!」 なのである。 施設受入時に認知症診断のチェックをしないのは、システム上の欠陥である。 あまりにも酷い現在の認知症診療の実態があるからである。
だから、私は施設嘱託医に、「前医の診断と処方は再検討するように」と、文書で申し入れをしたのだが、実行されていないようである。

その欠陥が及ぼす悪影響は、結局のところ施設職員が介護負担というかたちで全て被ることになるのである。 更には、Kさんは施設入所したことで、ちゃんとした治療を受ける機会を逸しているのである。

改めて記しておきたい、
 第一選択肢は薬物療法
 第二選択肢は非薬物療法

この順番で治療ができて、初めて「非薬物療法」なのである。 もう少し具体的に述べると、ケアプランは実現可能な範囲で立案するようになっているが、その中に「○○の治療を維持する」などという文言は出て来ない。 「○○の治療はきちんとできている」という暗黙の了解があるような気がするが、それは誤りであることが多い。 ○○とは認知症である。
こういうことだから、ケアプランは介護だけの視点で立案され多職種連携がなっていない。 それは、砂上の楼閣であり、介護現場を自ら疲弊させること以外の何者でもない。

例えば、「午後は離床をすすめ、他の利用者との関わり合いを持つようにする」などというケアプランがあるとしても、実際には殆どできていないことがある。 
何故なら、離床して他の利用者と同じ場所に居ると、わぁわぁ大声で騒いで他の利用者の迷惑になり、不穏な雰囲気を増長させるから、寝かせきりにせざるを得ないのである。 認知症治療の結果は、利用者のQOLに直結するのである。

もし、Kさんが私の母であれば、少なくともFG療法(フェルガードとグルタチオンの併用)を試みるのは言うまでもない。 認知症治療は年々進化している。 だから、「情報武装」が必要なのである。


この人に聴く 中村仁一先生 -大往生したけりゃ医療とかかわるな-

こういう話しとは無縁で済めば良いのだが、切実な現実問題として直視しておいて損はないと思う。 マスメディアがいつも公正中立に事実を伝えているわけではないくらいのことは知っているが、表沙汰にならない現実ほど悲惨なものである。
既得権益とか歪められた既成事実が故に、正論が正論として受け入れられない世の中というのは不幸なものである。 


今週の一曲

 ペギー葉山の「学生時代」である。 カラオケで何気なく歌っていたが、昭和39年(1964年)に発表された楽曲なので半世紀前から歌い継がれた名曲である。 今回は結構生々しい内容になってしまったが、現実に目を背けて通り過ぎることはできない。 この歌と同じくらいの歳月を生きてきた者に今更学生時代のような「純粋」などという言葉は死語であろうが、純粋だった頃を思い出してみたい(笑)。

2014/07/14

認知症になったら真っ先に読む本[1]

「真っ先に読む本」ではあるが、一番最後に読んだ本

久々に書籍を購入した。 それが、岩田先生(長久手南クリニック院長)の著した「認知症になったら真っ先に読む本」(現代書林)である。 今日現在で一番最後(最新)であるが、深い理由は何もない。

ここでは書評・レビューを書かないが、いくつか記しておきたい。

早期発見と的確な対処のために、情報武装を!」(p.162) まさにその通りである。 私には体力も、大した学力もなく、資格もない普通の一般人である。 だから、せめて「情報武装」を、と思ってきた。 
ある在宅の高齢者は、激しい幻覚(幻視)のため昼夜を問わず大声をあげて家族を困らせ、疲弊させていた。 当時、まだコウノメソッドを知らなかった私は、その高齢者が全盲であるためシャルルボネ症候群だろうと思っていた。 (今振り返ってみても、多分シャルルボネ症候群であると思う。)
抑肝散が有効であることくらいは知っていたから、家族に勧めてはみたが納得されるこなく終わった。 仮に、納得されたとしても、紹介する医療機関を知らなかったから、結果がどうなっていたか分からない。 ただただ無念であった。 現在なら、コウノメソッド実践医を紹介するのは言うまでもない。

全国の実践医の傾向を見ると「反体制派」「自分の頭で思考できる人」が多いようです。 世の中の間違った常識があるのならそれには迎合しません。」(p.202)
「世の中の間違った常識があるのならそれには迎合しません」 私も迎合しない反体制派である。 世の中の間違った常識に囚われていると、いつまで経っても家庭介護現場も施設介護現場も救われる日は来ないことが、この本で再認識させられた。

だから、この「認知症介護通信」は、コウノメソッドの知識をベースに実際に介護現場で観た私の拙い経験を書き綴っているだけである。



岩田先生のブログ(ドクターイワタの認知症ブログ)に以下の記述があったので転記させて頂く。

全国にはコウノメソッド実践医という“認知症を治す方法を知っている”“介護者を救うための治療を実践している”医師たちがいます。 コウノメソッドとは私の師である名古屋フォレストクリニック河野和彦先生が30年の認知症診療の経験から得られた認知症治療の極意をわかりやすくまとめたもので、誰でもインターネット上からダウンロード出来ます。 コウノメソッド2014を読んでいただければ、ここに書いている内容がより深く理解していただけると思います。 
多職種の方々には認知症治療薬の正しい使い方を学んで頂き、間違った治療を見抜いて、コウノメソッド実践医のところに駆け込んで頂きたいのです。 

最近、脳神経外科専門医堀智勝先生を代表世話人、認知症専門医河野和彦先生を副代表世話人とする認知症治療研究会が立ち上げられ、著明な脳神経外科医5名とコウノメソッド医療者(医師、介護支援専門員、看護師、介護福祉士)が世話人に指名されました。 職種の垣根を越えて認知症治療について学ぶための会が出来たのです。 “認知症治療の夜明け”と言えるでしょう。

高齢化が進むにつれ、認知症で困っている患者さんや介護者が増えています。 認知症治療や認知症ケアには多職種連携(家族、ヘルパー、看護師、理学療法士、薬剤師、歯科医師、医師など)が必須であり、多職種の方々が認知症に対する正しい知識を身につける必要があります
 
多くの認知症啓発本は認知症治療について記載しておらず、すぐに認知症ケアと結びつける傾向にあり、認知症は不治の病であるという間違ったイメージを植え付けています。 認知症は“治す方法を知っている医師であれば治せる病気”なのです。 認知症患者さんや介護者を救うためには認知症治療と認知症ケアをバランス良く組み合わせることが重要なのです。

 
「認知症は治る」というのは夢ではない。 少しばかりの努力と、コウノメソッド実践医のところに駆け込む行動力があれば良いのである。
 ■認知症治療研究会
 ■コウノメソッド実践医
 ■コウノメソッドマニュアル

続く・・・

2014/07/12

認知症介護通信14/07/12

天秤について考える

今はどうか知らないが、昔は理科の授業で天秤を使う実習があった。 片側の皿に被測定物を乗せ、もう片側の皿に分銅を乗せて指針が中央に来るよう分銅の重量を調節するのである。
上皿天秤
極めて原始的な方法であるが、被測定物の重量を精密に量ることができる。

振動に弱いから、天秤を置いたテーブルを揺さぶるようなことをしてはいけない、吐息がかかってはいけないから、息を止めて慎重に分銅の重量(数)を調節していく。
今にして思えば、実に悠長な時代であった。







上皿天秤用の分銅
分銅はたぶん鋳造(鋳型に流し込む製造方法)でおよその質量の塊を作り、削り出しで精密な質量にするのであろう。
実際に製造工程を見たことはないが、分銅の形状を見れば見当は付く。







電子天秤
時代は電子化され、デジタル化された。 天秤もその例外ではなく電子化されデジタル式となった。 被測定物を皿に乗せてボタンをピッと押せば測定結果がすぐに出てくる。 1.66666mgと。 5mgの錠剤を正確に3等分するとこうなる。

ところで、この種の電子天秤にはRS-232C、あるいはGPIB(General Purpose Interface Bus)というインターフェイスが搭載されている。
GPIBは、パソコンと接続することで、以下のような利点がある。


1.パソコンで機器の制御プログラミングを記述・実行することにより、計測の自動化・省力化が実現できる。
2.計測データのグラフ表示やファイル保存など、パソコンの能力を活かした計測システムが実現できる。

1台のパソコンに複数の計測器を接続し、プログラムによって各機器が自動計測を行い、その計測したデータを パソコンで収集し、解析や表示処理、データ保存するという使われ方が一般的になっている。 その際、電子天秤とパソコン間でデータを正しくやり取りする手順が決められている。 これが「通信プロトコル」である。

認知症患者の家庭介護者、あるいは施設介護者と主治医の間で正確な情報を伝え合う(即ち通信プロトコル)方法がある。 それが、コウノメソッドである。 


平山先生のブログに、「コウノメソッド実践医間の連携」、「実践医間の情報共有のしやすさ」という見出しが付いた記事があった。 レビーなのか、ピックなのか、これらの複合であるLPCなのかは長谷川式では分からないが、レビースコアとピックスコアがあれば大方の周辺症状の想像がつく。 これがコウノメソッドの良さのひとつである。



天秤療法

中核薬の処方量は患者の体と対話しながら決めよ」という意味である。 認知症の治療薬は中核症状薬に限らず、古くから使われてきた薬もある。 今回は、認知症薬物療法マニュアル コウノメソッド 2014 KONO METHOD 2014 を基に話しを進めたい。 以下の文章(青色文字)は、左記のマニュアルからの転用である。 理解し易いように順番を並べ替え、説明を加えた。


本当にちゃんと治すためには、薬の種類、薬の用量を 0.2mg 単位で具体的に家族に話さない限り達成できない。 インターネットの普及した現在、素人の知識を見くびってはならない。

例えば、アリセプトには、3、5、10、15mgの錠剤がある。 これらのいずれかをポンと処方して、「毎朝、1回1錠飲みなさい」では済まされないのである。 高齢者は薬に過敏である。 期待する作用以上に副作用が出やすいのである。 だから、テーラーメイド処方が必要なのである。 グラマリールなど古くからある、患者を穏やかにする薬との併用も考慮されなければならない。
ただ、老々介護でインターネットを利用しない(デジタルデバイドの問題)患者家族もいるだろう。 そういう方々に対しては、ケアマネ(介護支援専門員)が代わって情報収集して、適切な治療が受けられるようにすることも重要である。


中核薬の処方量は患者の体と対話しながら決めよ。 認知症は中核症状だけの疾患ではない。 アルツハイマー型認知症に適応症をもつ4成分(アリセプト、リバスタッチパッチ、レミニール、メマリー)だけを処方することが治療ではない。 中核薬はいずれも興奮性を秘めていて介護をよけい困難にする可能性を持つ。

困難な状況・事態に陥っているケースには、私もしばしば遭遇する。 とりわけ酷いのがFTDにアリセプトを処方しているケースである。 介護拒否もさることながら、周囲に迷惑をかけるような大声、唸り声を出し続けるのだから困ったものだ。 ATDでは、過剰投与のためちっともじっとしていられず、見守りの目が離せない人もいる。


医師への助言 -医師は選別される時代にー 
自転車に乗れない人間は自転車に乗ってはならない。 認知症への処方術を知らない医師は気楽に処方してはならない。 アリセプトも他の薬も同じようなもの、誰が治療しても結果は同じと思っているなら、知識がなさすぎる。 認知症は治らないと言っている医師は、治す能力がない。 

認知症の適切な鑑別もできず(敢えて「診断」とは言わない。 それ以下のレベルである)、前頭側頭型認知症(FTD、ピック病)の患者にアリセプトを処方している。 それが、デイケアを運営している医師によるものであるから救いようがない。 もう1例がプライマリケア医である。 もっとしっかりと認知症とその治療方法を勉強して欲しいものである。 する気がなければ、「もの忘れ外来」の看板を外して欲しい。
私のかかりつけ医であり、信頼する内科の医師は言う。 「私は認知症を診ません」と。
理由をお訊きすると、「難しいから」とのことであった。 この方が潔くて清々しい。


「医患一体」の姿勢 
未開な分野である認知症に立ち向かうため、医師と患者家族は、同じ教材を学ぶ必要がある。 世の中でもっとも認知症を知らないのは医師である。

少しばかり言い過ぎかもしれない。 正確には、「あるひとりの認知症の人の症状・状態を知らないのは医者である」というところであろう。 但し、自分の親が認知症ではないかと心配になったり、認知症と診断されたなら、医師以上に患者家族は必死になって認知症を学ぶだけのポテンシャルは持っているのである。

その時に用いる教材がコウノメソッドであり、これを共通ベースに情報を伝達・共有しあえば良いのである。 因みに、私の親は認知症ではない。 けれど、もし認知症になったら自分で鑑別して、コウノメソッド実践医のところに連れて行く。
現在は、「この認知症の人を何とかしてあげたい」という一念で勉強しているだけのことである。


用法用量の設定は製薬会社の利益の為であり患者の安全の為ではない。 これを守ると患者は治せない。 中核薬を増やすほど改善するという統計グラフはすべて偽りである。 認知症の薬物反応は釣鐘状であり用量依存性ではない。 

用法用量の規定は製薬会社の売上げに貢献するだけであり、患者と家族には何の貢献もしていないのである。
「認知症の薬物反応は釣鐘状であり用量依存性ではない」というのは、薬の処方量(服用量)が多い程、効果があるのではなく、患者個々に最適処方量があり、その最適量を超えると副作用が増えるだけで何のメリットもないという意味である。 (左図参照)
この最適量を見つけ出すのが家庭天秤療法である。

用量に依存するのは製薬会社の売上げだけである。



認知症に関わりたいと思う医師は、コウノメソッドのみを信じればよい。 コウノメソッドは数万の患者が教えてきたバイブルである。 自分の方法にメソッドを加えるのではなく、完璧にメソッドどおりに処方すること。 

初めにマニュアルを読んだとき、これは些か傲慢な表現かとも思った。 しかし、よくよく考えてみるとすぐに理解できる。 自転車に乗れない初心者が初めにすることは何か? 自転車の乗り方を教わって、空き地かどこか安全な所で補助車付きの自転車で練習するだろう。
習字ではどうか。 お手本に倣って練習するのが先であろう。 我流でやるか? 天賦の才能に余程恵まれているのであれば、それは才能が開花し才能が認められる日が来るかも知れない。

こういうことをあれこれと考えてみると、「自分の方法にメソッドを加えるのではなく、完璧にメソッドどおりに処方すること」で良いという結論に達するのである。 このことは、別に自分のプライドに反することでもなく、何かしら納得の行かない力に屈することでもない。 「匠の技」を真似てみるだけのことである。
「お手本はこうですよ」と示されているのであるから、先ずはそのお手本通りにやってみることである。 ただそれだけのシンプルなことなのである。 これが分からないということが私には解らないのである。


壊れた天秤
スイッチが入ったかのように突然に暴言暴力が始まるピック病典型症例のKさんである。 Kさんの治療は施設入所以来、ことごとく失敗してきたようだ。 業を煮やした私は、ウィンタミンの処方を数ヶ月間にわたって施設嘱託医と交渉してきた。 
紆余曲折を経てやっと聞き入れられ、当初は著効を示したかに思えたのだが、次第にまた以前のように暴言暴力が始まった。 それはある意味当然で、天秤療法で処方量の最適化が行われていないからだ。 コウノメソッドで推奨する薬に問題があるのではなく、処方量がまずいのである。
そこで私は、「最大75mgまでは増やしても大丈夫だから看護師に調整させてもらって欲しい」と、服用量の調整を嘱託医に伝えた。 「施設天秤療法」である。

それから暫く様子を観ているのだが、一向に暴言暴力は治まらない。 まず間違いなく、何も処置していないのであろう。 コウノメソッドという「通信プロトコル = 治療プロトコル」を持たない者達と、どんなに会話(通信)しようとしても無駄であることがよく分かった。


幻覚を退治する

レビー小体型認知症(DLB)に幻覚、特に幻視はよく現れる症状のひとつである。 TさんはDLBなのだが、LPC化も進んできている。 昼食後、Tさんの臥床介助をした時のことである。 目つきが険しかったから、「何かあるよね」、と感じ取っていたのだが、やはり来た。
Kさんが、「あ~!」と、叫ぶのである。
「どうしましたか?」と、私が尋ねると、
「胸元に蛇がいる!」と、怖がっているのだ。 こういう時には、否定せず現実として対処すれば良い。
「あ! いた、いた。」と、私は1匹の蛇をつまみ出した。
すると、Tさんは、
「まだいる。 背中!」と、更に蛇がいることを訴える。 私は、Tさんを側臥位にして、更に蛇を2匹つまみ出した。
「もういませんよ。 Tさん、大丈夫ですよ。」と、私は声を掛けた。
すると、安心したTさんは仮眠に入った。


この人に聴く 天野篤先生

最近は本を読んで学ぶより、インターネットで様々な分野の先達から聴いて学ぶのが簡便でいいことに気付いた。 昔は、足繁く書店に通ったものだが、最近は足が遠のいた。
けれど、私には「耳学」というのはどうも合わないかもしれない。 ちっとも身に付かない。 やはり、文字情報や映像情報を繰り返し見るのが合っているのかも知れない。




言葉の魔法

認知症の人だからといっても、相手は年長者様である。 時には自分の倍とか3倍の年月を生き抜いて来られた方々なのだから、必ず一様に敬語を使うように気を付けている。 これだけは職場の同僚にも当てはまり、年長者であろうと、年下であろうと例外を持たない。 どんな状況下であろうと、敬語で話す。

心理療法におけることばの使い方
私は、「最近の若者は敬語の遣い方も知らない」などと言う程の者ではないが、そういうことも言いたくなる状況に多々遭遇するのは残念でならない。
「○○さん」と苗字で利用者を呼ぶのが常識であるが、「□□さん」と名前(ファーストネーム)で利用者を呼ぶ輩(やから)が多い。 この傾向は何処の施設でも見受けられる。 病院で順番待ちの患者を呼び出す際に、医師も「○○様、診察室にお入りください。」と言う時代である。
私は、「お客様は神様です」などとは思っていないが、サービス業であるから、きちんと敬語を遣いたいものだ。

ところで、単に敬語を遣うこと以上に、話しの内容が重要である。 
ある時、利用者から、「こんなこともできなくて、ご迷惑をお掛けします」と言われたことがある。 私が、「いえいえ、これだけできれば十分ですよ」と言ったら、その利用者は「そんなに褒められたの、初めてです」と嬉しそうに言うのである。 
この時、年長者に対してでも、褒めることの大切さを教えられた。 もしかしたら、すぐに褒められたエピソードは忘れ去られ、その場限りの言葉掛けになるかも知れないが、それでも必要だと思う。

「これができるから、いいですね」とか、「ここまでできるようになると、いいですね」という言葉掛けはやはり必要だと思う。 だから、1冊くらいは言葉掛けの本を読んでおきたい。 
「心理療法におけることばの使い方」(誠信書房)は2001年に発刊された古い本で、若干専門的になるが役に立った。 

介護の禁句・介護の名句
ここまで専門的になる必要があるのかどうかは分からないが、実用レベルとして、「これだけは知っておきたい介護の禁句・介護の名句」を紹介しておきたい。
この本がベストなのかどうかは知らないが、こういう本の1冊でも読んでおきたい。 何故なら、「言葉遣い」という素養は簡単に養えるものではなく、突き詰めれば個々の生育歴、躾・教育歴にまで及ぶからである。 

排泄介助、食事介助といった技能は教えられることはあっても、言葉遣いは自分で意識して実践しなければ、いつまでたっても何年介護現場に居ようとも身に付かないものである。

私は、「認知症の第一選択肢は非薬物療法」などと思っていないし、認知症を文学的に語る気はサラサラない。 しかし、人 対 人 という対人関係で捉えた場合、言語コミュニケーション・非言語コミュニケーションの重要性は必要不可欠でり、決して軽んじることのできないことであると思っている。

私の名句(?)を紹介しておきたい。
「もう死にたい・・・」と言う高齢者に対して。 
「あのね、○○さん。 今日という日はね、まだ生きていたかったあなたのご主人様の未来を生きておられるんですよ。」
「○○さん、そんなに急ぎなさんな。 お父様やお母様は、必ずお迎えに来て下さいますからね。 その時に、恥ずかしくないような生き方をしておきましょうね。」
これで妙に納得されるのである。 ここでポイントがひとつ。 必ず、「○○さん」と言って相手(自己)の存在を確認・認識するかのように名前を会話の中に入れることである。


今週の一曲

坂本九の「上を向いて歩こう」である。 この楽曲は1961年(昭和36年)に発表され、日本国外でも大ヒットした。 中でも1963年には、SUKIYAKIというタイトルでアメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌『ビルボード』の "Billboard Hot 100" で、3週連続1位を獲得したという。 
後期高齢者の方々が、かつて若き日に子育てに奔走する中、この歌声を聴いたことであろう。



2014/07/05

認知症介護通信14/07/05

認知症を理解する

ひと言に「認知症を理解する」といっても、様々な職域の人々の立場でそれぞれに意味合いが異なってくるのは言うまでもない。 「介護現場を重視する」との公言通り、河野先生はちゃんとそれを示している。 
そのひとつが下図に示されていると思う。 血管性認知症を除く神経変性性の認知症は、純粋に単一の認知症であることよりも、症状は進行して複合(合併)することもある。  実際のところは、認知症の人の死後脳を解剖して病理検査してみなければ何がでてくるか分からないのである。 それでは現実的・実用的ではない。 やはり、症状を診て、それに最適な方法で対応する(対症療法)のが現実的であると思う。

今回は、下図を基に介護現場から解説してみたい。



「変容の種類には3つあって、アルツハイマーのレビー化SDのピック化レビーのLPC化です。こんなことを言っている研究者は私だけです。 しかしコウノメソッドを日常診療に役立てている医師ならこの考えに100%同意するでしょう。」

私は医師ではないが、この認知症スペクトラムが描けること、そして治療できることが、コウノメソッドの優れた特長のひとつであると思う。 すぐには理解し難いことかも知れないが、ある意味、上図のことが真に理解できれば認知症を取り巻く介護現場の厳しい現状も分かり、それをどう解決したら良いのかも分かるようになると言っても過言ではないと思う。 別の言い方をすれば、「予防最前線」は別として、「治療最前線」はここにあるような気がする。

ATD(Alzheimer Type Dementia)アルツハイマー型認知症のことである。
初期の頃には、「その場取り繕い」で惚けたことを言って周囲を笑わせていたり、目的もなくあちこち彷徨いていても、次第に症状が進行するに連れて活動が低下し、意識/覚醒レベルは低下して自力でご飯を食べられなくなる。 そして寝たきり(あるいは、「寝かせきり」)となる。
自力でご飯が食べられなくなれば、誤嚥に気を付けながら介助するしかない。 こうして介護負担が増えるのである。 1日中、ぼんやりしているか眠っている。 「年だから仕方ない」とか、「認知症が進行したのだから仕方ない」ではない。 まだできることがあるのだ。

だから、介護現場では、アルツハイマーがレビー化してきたことに気付いたら、主治医/嘱託医に上申して処方薬を調整してもらう必要がある(但し、ちゃんと治療できる医師にである)。 つまり、図にあるようにドネペジルを中止しなければならないのである。 これができなければ、無為な介護負担が待っている。

日常のことで分かり易く単純化して例えてみよう。 上述のことが原因で自力での食事摂取ができない施設入所者が4人居るとする。 1人当たり15~20分の介助時間がかかるとすれば、1人の職員が約1時間を費やすことになる。 実際には、個室でなければ、誤嚥に注意しつつ周囲に居る他の入所者の様子を見守っているのだが。 ただでさえ人手が足りない介護現場で、こういう事態は避けたいものである。 施設利用者の視点で言えば、余計に手の掛かる人たちのために、他の利用者が介護を受ける機会を不当に逸しているのである。

尚、アリセプトは製品名/商品名である。 現在は特許が切れた関係から、ジェネリックとして「ドネペジル」という名称で販売されている。 この薬品名は是非覚えておきたい。


SD(Semantic Dementia)、意味性認知症のことで、前頭側頭型認知症のひとつである。
大雑把に言って、介護者の言っていることが解らないタイプの認知症と理解すればいよい(聴力障害を除く)。 例えば、「トイレに行きませんか?」と促しても、理由なくまったく聞き入れないような人である(感覚失語)。 こちらの言っていることが理解できていないような印象である。 
もうひとつは、1日中無言で過ごし、何を話しかけてもウンともスンとも言わない人である(運動失語)。 実は、ウンとかスンくらいは言うのだが、コミュニケーション不能であるから、何を考えているのかさえさっぱり分からない。 これらの両方の症状があれば、全失語である。 このタイプの人の厄介なことは、自分の意思を言葉で言えないことである。 だから、お腹が痛いとか、頭が痛いということすらできないのだから、身体に異変があっても傍から見るとどこがどう悪いのかが分からないことである。

一般的にはおとなしいタイプが多い印象であるが、おとなしいからと言って見守りの対象にならないかというとそういう訳には行かない時がやって来る。 
SDのピック化である。 テーブルの隣人の茶碗やお膳を盗ったり(盗食)、目に付く物を何でも触ったりするようになる(使用行動)。 更に厄介なのが異食である。  これが始まると、四六時中見守りが必要になるのは言うまでもない。 
他に、自分の手指を舐めたり、同じ皿のおかずだけを食べ続ける、車椅子でトイレに連れて行き便器の前だというのに足を組んだままといった行動も現れることがある。


DLB(Dementia with Lewy bodies)、レビー小体型認知症
レビー小体が主に後頭葉に蓄積され、血流が低下するのがDLB。 初期の頃は脳の萎縮は少なくて目立たない。 因みにレビー小体が脳幹に蓄積されるとパーキンソン病となる。 だから、DLBとパーキンソン病の人の精神症状だけを観ると似通っている。
「レビー小体病のため、遂行機能と社会適応能力が低下した状態をレビー小体型認知症という」と理解してもよい。 

話しは些か脱線するが、「認知症」は、上述のように症状・状態を表す名称である。 症状であるから、原因となる病気・疾患がある。 それが、レビー小体病であったり、アルツハイマー病であったりする。 つまり例えて言うと、「発熱が続く」という症状があれば、肺炎という病気が原因かもしれない。 そういう関係である。 
「認知症への関心と理解は深まってきている」などとマスコミで言われてはいるが、現実は「まだまだ」と言わざるを得ない。 ある時、「アルツハイマー病と、認知症は違うんですかぁ~?」と尋ねられたことがあったので、一般的に書かれている説明と違う方法で上に記してみた。

介護現場に話しを移す。 DLBの人を1日とか1週間単位で観ていると、ボーとして眠っているのか覚醒しているのかはっきりしないかと思えば、爽快な顔つきであったりする。 
おやつの甘酒やワインゼリーで気分が悪くなり寝込んだりする(薬剤過敏性のため少量のアルコールでこうなる)。 挙げ句の果てには、急にぐったりして気を失い、心配させたりする(意識消失)。
また、「テーブルの下に人が倒れている」とか、「火の手が上がっている」と、幻視を見て心配している。 こういう人がレビー小体型認知症の人である。 この程度であれば、比較的手がかからず割とおとなしい印象がある。 
レビー小体型認知症については、検索して調べればいくらでも情報が得られるので、このくらいにしておきたい。 なお、鹿児島認知症ブログにも掲載があるので、ご覧頂きたい。


ピック病は昔の名称である。 現在は前頭側頭型認知症(FTD)と呼ばれている。
前頭側頭型認知症は実に多彩な症状を呈するのだが、定義自体が分かりにくい。 実際の例を挙げた方がピンとくる人も多いだろう。

こちらの言うことを全くと言っていいくらい聞き入れてくれない(我が道を行く)。 周囲の迷惑など全く配慮していない。 だから、しゃべることができる人なら、10分おきに「おしっこ、おしっこ」とトイレに行きたがる。 「さっき行ったでしょう」と言うと納得したり、逆上したり、屁理屈を並べ立てる。
特別に用事がある訳ではないのに、「ちょっと、ちょっと」と誰それ構わず呼び止める(常同行動)人もいる。 床に唾を吐く人もいる。

ボタンを引きちぎって食べる、ファスナーを引きちぎって食べる、膝掛けの飾りの布を引きちぎって食べるなどの異食がある。 介護拒否が酷いケースでは、口腔ケアを嫌がり暴れる、歯ブラシを噛みちぎる、入浴を拒否して大暴れする、理由無く急に怒りだして暴力をふる、などがある。

コウノメソッドを理解して、様子観察を半日くらいやっていればピックを見抜けるようになる。 
さて、一目見て、「ピック病だ」と分かれば良いのだが、ひとつある。 それは、「びっくり眼(まなこ)」である。 コミック(漫画)で驚いた時に、「あっ!」という表情を表現するような目つきをしているのだ。 ピック病の決定的な「証拠」とはならないが、実は意外と多い印象である。

厄介なのは、このピック病を知らない医師はATDと誤診してアリセプトを処方する。 すると、もう無茶苦茶である。 周辺症状は一層酷くなるから、介護者はたまったものではない。 

上述のようなFTD(ピック病)の症状を特徴とする認知症であるにも関わらず、「トイレに行きたくて不穏になった」、「失禁したから不穏になった」、「お腹がすいたから不穏になった」、「眠くなったから不穏になった」などというようにしか介護現場で理解されていない傾向があるのは残念でならない。
こういう施設には介護負担の増大こそあれ、軽減される日は未来永劫来ない。 


LPC(Lewy-Pick Complex)
先に説明したDLBにピック病の症状が合併した症状である。 日頃はおとなしく、ボーっとしていたDLBの人が、次第に怒りっぽくなり、お膳をひっくり返したり、ご飯を手掴みで食べたりするようになる。 あるいは大きな声で奇声を発したり、介護抵抗や暴力をふるうようになる。
こういう症状がある日突然一気に出る訳ではない。 徐々に徐々に出てくるから、数ヶ月~半年といった時間軸で経過を観ないといけない。

夜中に寝言を言っていたり、幻視を見ている人に声をかけたら、急に怒り出し暴力をふるわれ介護抵抗されたことがある。 これだけならば、レム睡眠行動障害ともとれるが、翌朝の朝食の食事介助で拒否(抵抗)され手に負えないようであれば、LPCと判断してよい。
実際、1年前には手のかからないDLBの人が上述のLPCへと変っていった症例を私も見ている(他にも数例ある)。


詳しいことは、「ピック病の症状と治療」(フジメディカル出版)をご覧頂きたい。
また、このピック病については、このブログで別の機会に書きたいと思う。
ATD、DLB、FTD、VaDに、LPCの理解が加わることで、非常にすっきりしてくる。 実は、この本の内容を理解するのに3回以上読み直した。 併せて、介護現場でピック病の人を半年以上観続けた。 

そして、やっと解った。 「結構居るもんだ」、「ATDと誤診されているもんだ」、と。







4大認知症のひとつ、血管性認知症(VaD;Vascular Dementia)が、上の図に何故出てこないのか? VaDは脳血管に障害(脳梗塞、脳出血)が生じた後に生じることのある認知症である。 階段状に症状が悪化(進行)するとされているが、これはある意味誤った認識で、VaDの本態ではないとされる。 血管障害の再発を適切に防いでいれば、VaDは進行せず変わらない症状のままである。 
ゆっくりと症状が変わってきたら、上に挙げた別の認知症が加わったとみる。 従って、神経変性性の認知症しか、図中にないのである。 

上記に挙げた各タイプの認知症には下表に示すような代表的な治療薬がコウノメソッドでは示されている。 医療関係者ではないという理由で、薬のことに無頓着ではいられない。 それが認知症の介護である。



認知症に対する関心は深まって来てはいるが、果たして認知症とその治療方法に関する理解は社会に広く浸透しているだろうか? 知らない、あるいは理解不足が故に生じる介護上の心痛・負担を認知症の本人のみならず家庭介護者、施設介護者が不当に抱え込んではいるまいか? 更に突き詰めれば、このよう無知が認知症医療の進展を阻害してはいるまいか?


新刊案内
遂に出ました。 認知症医療の杜撰さを克明に記録した渾身の一冊。
抗認知症は出し放題、症状が悪化すれば更に薬を追加。 挙げ句には、「認知症は治りませんよ!」と患者家族を冷たく突き放す医師。 不必要なCT、MRI画像診断で高額の診療報酬を得る医師。 病院で治療できなければ老健で、老健で手に負えない患者は特養へ。 特養は認知症患者の最終処分場。 「認知症を治さない」ビジネスは、患者がとぎれることなく、経営安定化のビジネスモデルとして定着。
「死亡診断書」の死因に、「認知症」という文字はない。 老い先短い高齢者は、専門診療科目のついでに診ておけばよい、小銭稼ぎに「もの忘れ外来」のステッカーを貼っておく。
こういう悪徳医師の実態に迫る、「認知症外来も 今日もやりたい放題」。 付録に認知症を治せない医療機関のブラックリスト付き。 近日、緊急出版。 
この本は虚構である(実在しません)。 あくまでもフィクションであり、妄想・作話である。・・・と、希望的観測で終わらせたいが、「現実です」と言わざるを得ない現在進行形である。


この人に聴く 柳田邦男氏 

「柳田邦男氏の死生観の変遷 2/3」を聴いて色々考えた。
航空機事故、ガン、ホスピスケアと話しが続き、脳死へと話しが続く。 とても重いテーマである。 正直言って、当事者になってみないと解らないと思う。 脳死は家族(享年15歳)を第二人称で経験しているが、認知症の場合はどうか? 私は第三人称でしばしば経験する。 今週も1例経験した。 これも仕事だから仕方ない。 ホスピスケアについては各自で考えて欲しい。


河野先生のブログより 介護通信 2014年6月30日

私の父の主治医だった医師は、「医学でどうにかなる範囲を超えた老人の最後は文学的であるが、最期は医学的である」と語ったのだが、私は現在の認知症医療レベルで認知症の人の最後を文学的に語る気にはとてもなれない。 まだまだ医学的に語る、即ち「やれること・やらなければならない余地」が多く存在すると思っている。

「認知症看護入門」(ライフサポート社)の終わりの方に、ターミナルケア、グリーフワークというタイトルで記述されている。 2011年に1度読んでいるが、また読み直してみたいと思う。 (このブログでテーマにするつもりはない。)

内容紹介 看護師が今日から役立つ観察と技術を知り、より深く認知症の考え方をも学べる一冊! 今日、わが国では認知症に関するおびただしい数の本が出回っています。 その多くは介護に関するものであり、介護家族が経験をまとめたもの、介護専門職が書いたものなどです。他方、医師による医学的な専門書も少なくありません。 こうしたなかで、認知症の人と家族を支えるのに欠かせない看護師を対象とした本が意外に少ないとの印象をもっています。  看護師は医療の多分野にわたる専門職であり、認知症の人の看護は多くの看護の現場で経験するもの、また介護施設で働く看護師にはありふれたものです。 堀内園子氏の『認知症看護入門』は、こうした認知症看護への求めに応じるかのように書かれたものだと思います。  本書の第1部では、認知症に関する基礎的な知識や技術が簡潔にまとめられ、第2部では、認知症看護の実践のあり方が具体的かつ系統的に書かれています。こうしたことは、長年、認知症看護の現場にいた堀内氏でなければ書けないものと確信します。  本書は、看護師が今日から役立つ観察と技術を知り、またより深く認知症の考え方をも学べる本です。


今日の一曲

藤山一郎と言えば、「青い山脈」、「長崎の鐘」か「東京ラプソディー」である。 しかし、「長崎の鐘」は皆で歌うには少し暗い。 かと言って、「東京ラプソディー」は少しばかりテンポが速い。 テンポが速いと高齢者は演奏に合わせて歌うことができないのだ。 そこで、週の一曲は、夢淡き東京」である。