2014/08/30

妄想は伝搬し、実現される

2020年のコウノメソッド

町医者の妄想 ~2020年の認知症ケア~

ここまで具体的に描き出せなかったけれど、同じような妄想を私も持っている。妄想は空想となり、空想は構想となり、構想はついに実現すると信じたい。

長尾先生の「町医者だから言いたい!」に上記の表題で記事が掲載されたので紹介させていただきた。(以下は、一部転記引用)
認知症対策基本法の基本精神は「認知症になっても住み慣れた地域で最期まで生活する」こととされ、すでに地域包括ケアの目玉になっていた。余談だが、地域包括ケアは略して「ちほう(地包)ケア」と呼ぶようになっていた。
がん対策基本法ともっとも異なる点は、拠点病院を定めないことだった。「認知症ケアは地域での生活にある!」という理念から、まず「拠点診療所」が整備された。認知症専門病院は「拠点機関ではなく支援機関である」という位置づけとなり、CTやMRIなどの画像診断や心理テストなど高い専門性を要求される検査にほぼ特化していた。

認知症拠点診療所には、2つの機能が科せられた。ひとつは、認知症の診断と治療、もうひとつは認知症の在宅医療だった。2020年の在宅医療の対象は、自宅以外に介護施設や老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅も含まれる広義の「在宅」だった。生活支援を重視することから、新たに「生活支援医療」という言葉も生まれていた。

認知症の診断と治療には、コウノメソッドの理念が大幅に採用されていた。2020年には、認知症は病名ではなく各種スコアで表現されるようになっていた。「MMSE」「アルツスコア」「ピックスコア」「レビースコア」が点数化され、チャート図にプロットするという作業が行われ、それ自体が「診断」とみなされた。

加えて家族や介護者の希望するオーダーシートに合わせて、各種の薬剤がコウノメソッド方式で使われていた。オーダーシートとは「幻視を少なくして欲しい」とか「もっと元気を出させて欲しい」という介護者の具体的な希望だった。裏を返せば、家族から特に希望が無ければ、薬物介入は極力避けていた。
4大認知症の理解は、ドクター・コウノによって完全に塗り替えられていた。画像診断と病名が一致しないことは当然と認識され、病名・病態志向ではなく、生活支援志向に変わっていた。

認知症医療の分野では、抗認知症薬のさじ加減などで「個別化医療」がさらに進んでいた。コウノメソッドの認定医たちは「中枢神経系総合医」と呼ばれる専門医となり、認知症は彼らが診るという機運が高まっていた。
余談であるが、町医者についても「中枢神経系総合医」「非中枢神経系総合医」と分けて呼ぼうという提案が、老年医学の世界で真剣に議論されていた。超高齢化社会に特化した専門性が、ドクターコウノらの活動が契機になって再編されようとしていたのだ。

4種類の抗認知症薬は、2020年にも使われていた。脳内の神経伝達物質を増やす薬理作用自体は間違いなく存在するのだが、最大の課題は容量設定だった。1でいいのか、10がいいのか、100がいいのか。ほとんど区別されることなく、強制的に3→5→10と増量するような従来のやり方は、コウノメソッド認定医などで構成される「認知症治療学会」の勧告により、大幅に是正されていた。

認知症介護通信14/08/30

よくぞ書いてくださった ー私も感じていたことー

長尾先生の「DR.和の町医者日記」、医原病、介原病のほうが多いのではないか?(2014年08月23日)に次のような記事があったので転記させていただく。
介護者が、認知症についてあまりにも無知家族もヘルパーも、認知症の知識ゼロで認知症と対峙している無知ほど怖いものはない、と毎日思おう。最大の悩みは、当人に「あなたは無知である」ことを伝えられないこと。そんな人に限って、絶対に本を読もうとしない。自分の考えに凝り固まって、なにか意地になっている。すなわち、無知介護がああ認知症を作っている側面がある

核心を突く事実であると思う。勿論、例外である方々もたくさん居られることだろうから、異論反論があっても然るべきであることは言うまでもない。それにしても、よくぞここまでご指摘下さった。
現場にいて感じることは、「認知症のことを知らなくても仕事はとりあえず勤まる」ということである。介護現場は「人手不足」と言われているが、本当は「人材不足」なのである。実はこのことが災いして、認知症に関する無知や無関心を助長しているのである。更にこれと連動するかの如く認知症医療の「進歩」を遅らせているのである。ではどちらが悪いのか? どちらも悪いのである。

今日もあるショートステイ利用者の家族(旦那と娘)が様子を見に面会に来ていた。今回は約1ヶ月間くらい宿泊しているし、前々から断続的にショートステイを利用している。実はこの利用者はピック病なのである。FTLD検査セットは0点、まだまだ許容範囲内ながらも「易怒」、職員の言うことを聞かない、人前で服を脱ぎ始める、その他にもピック病を支持する根拠はあるが省略する。
この人に初めて会った時から、私はピック病だろうと思っていた。ある日、サービス利用受入時に交付された資料を見ると、「アルツハイマー型認知症、アリセプト」と記されており、お決まりの誤診・不適切処方コースであることが分かった。
これでは現在の治療を止めて適切な治療に切り替えない限り家に帰る、つまり在宅生活の再開は無理だ。


状況は更に深刻で、私が「この人はピック病です」と言ったところで、まともに話しを聞いてくれないことにあり、「あなたは医者じゃない!」ということで、問題解決の糸口にさえたどり着けないことにある。これはまさに、「自分の考えに凝り固まって、なにか意地になっている」の状況である。

施設入所やショートステイの利用によって、一時的にせよいくらかは認知症の周辺症状が緩和されることもしばしばある。これを以て、環境調整や手厚い(?)介護のお陰だと思ってしまう。「ウチの介護力は優秀だ」と、勘違いしてしまう。しかし、これはただ単に不適切な認知症医療の後始末をしているだけのことであり、医原病と介原病の連携創出をやっているだけのことである。認知症とその治療について、ここまで気付ける人がひとりでも多く介護職に携わる人の中から出てきて欲しい。


長尾先生の文中に「絶対に本を読もうとしない」とある。厳密には、「絶対に買ってまで本を読もうとしない」である。左の「ピック病の症状と治療」は医学書ではあるが、医学書にしては安価な方とはいえ、6,000円(税抜き)もする。パートのおばちゃんたちが1日働いて稼ぐ金額より安いだろうが、簡単に手が出せる額ではない。仮に、施設で購入するように提案したとしても許可されることはないだろう。
ピック病は症状が多彩であるため、アルツハイマー型認知症と誤診されることがある。けれど、この本を読んでコツを掴めば、私のような素人でも鑑別できるのである。

医者ではない私のような者がここまでやる必要があるのか? 今もって疑問でもあるが、確信もある。介護職者も認知症鑑別能力と認知症は治療できるということを知った上で介護業務に当たらない限り、認知症患者とその家族を救えないということである。本当は家族だけでは済まない話しで、自分達自身もまた救えないのであることは言うまでもない。 


最近、医者は認知症を「治せる」という本が出版された。私はまだ読んでいないが、値段が手頃であり自分で買って読むのに丁度良いと思うので紹介したい。(廣済堂出版、\864)
   以下、転記引用
認知症は「治らない」「改善しない」という事が常識とされてきた。しかし、実は、医者は認知症を「治せる」のだ。医者である著者は30年に渡って、たくさんの認知症患者を診て、独自の治療法「コウノメソッド」を確立。そして、患者のかかりつけ医でも実践できるように無料公開している。そこに至った経緯や、今の認知症治療の問題点なども挙げていく。

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祝! 20,000回アクセス突破

このブログで勝手にリンクさせていただいている、平山先生の「鹿児島認知症ブログ」が20,000回のアクセスを突破したのは去る8月24日のことである。九州の北(認知症介護通信)と南(鹿児島認知症ブログ)で申し合わせて「コラボ」している訳ではないし、ましてや介護ー医療連携している訳でもない(笑)。九州新幹線があると言っても遠すぎる(笑)。ただ単にインターネットというバーチャル世界で繋がっているだけである。
現実世界でコウノメソッドをベースとする介護-医療連携ができればこの上ない幸いであるが、それは地元の関係者の皆様に期待したい。鹿児島在住の認知症患者がひとりでも多く、質の高い治療に結びつけば嬉しい。



サプリメントの活用 ーまるごと1時間の特番があればなぁー

フェルガードのことがYouTubeで語られていたので紹介したい。開始後5分頃から、河野先生が登場される。


Have a nice day!

2014/08/23

認知症介護通信14/08/23

アナログ感覚

今は昔、デジタルという言葉さえ一般化されていなかった時代、テレビは勿論のことラジオもレコードも皆アナログであった。アナログが普通なのであるから、現在のようにわざわざ「アナログ」と冠する必要もなかった。


ステレオはコンポーネント式で、チューナー・レコードプレイヤ・アンプといったふうに機能毎に個別製品となっている。チューナーはフロントパネルに大きなダイアル(つまみ)が配置されている。プラスティックではなくアルミ削り出しで重量感がある。回転時に適度のトルクと慣性モーメントがあり心地よい感触でチューニングするのである。

ところで、このチューニング操作が何となく、「天秤療法」を連想させてしまうのである。つまり、感度の一番良いところ=薬の効果が最高、そして、雑音がない=副作用が最少というわけである。実際、現在のデジタルチューナーのようにボタンを押して、ポンポンポンと 5、10、15mgとやられたらたまったものではない。やはり、アナログがいい。


レビー小体型認知症(DLB)の人に教わったこと

DLBに幻覚・妄想はありふれた症状である。Tさんは典型的なDLBなのだが、幾らかLPC化してきている。そのTさんの妄想には決まってお坊さんが登場する。「お坊さんが来るから、食事の用意をする」だの、「村人が大勢集まってお祈りしている」だのと妄想を言う。おそらく、生活歴の中でお寺とかお坊さんとの関わり合いが多かったのだろう。 

夜勤明けの朝、Tさんに「おはようございます。眠れましたか?」と声を掛けてみたら、「お坊さんに頬をつねられた」と言うのである。「どうしたのですか?」と私が尋ねると、「分からんけど、部屋にお坊さんが入ってきて、こうやってつねられた。怖かった」と言ってつねられる様子を再現して見せてくれた。その後、また別の夜勤明けの朝にも同じことを言われた。

それで、ある日勤の日に、落ち着いて穏やかな様子のTさんに、「昨夜もお坊さんにつねられましたか?」と尋ねてみた。敢えて、イヤな記憶を想起させて負荷を与えることで、不穏な状態になるかどうかを観るためである。Tさんは落ち着いた様子のまま、「いいや。昨夜はお坊さんは来なかった」と言う。また別の日にも、お坊さんのことを話題にしてみたが、様子は変わらなかったが、「女の人が部屋に入ってきてつねられた」とも言うようになってきた。

どういうふうにつねったのか確認のため、私はTさんに頼んで私の頬をつねってもらった。痛かったのだが、「本当はまだ強くつねったんよ」とTさんが力を手加減してくれたことを聞かされた。他者を思いやり、手加減する気配り・配慮は天晴れである。

外的刺激によるイヤな記憶の想起だけでは、不穏を誘発する因子にならないのであろうという気がする。どちらかと言うと、視覚刺激から幻視に到り不穏になる。DBLの人の不穏パターンを観ていると、そのように思えるのである。

このTさんの場合、驚かされるのは認知機能である。「あんた達は、私を荷物のように手荒く扱う!」と言ってお叱りを受けたことがある。これは事実で、荷物のように手荒く扱って車椅子とベッド間の移乗をする輩を非難しているのである。
私はそのようなことをしないように気を遣ってはいるが、その言葉を真摯に受け止めておきたい。DBLの人は呆けてはいるが、認知機能がしっかりしていて現実をよく見ていると思われるケースに多々遭遇する。アルツハイマー型認知症(ATD)の「その場取り繕い」がないので、ATDの人とは異なり「でまかせ」発言は絶対にしないようにしている。



MRI初体験する

MRIとはMagnetic Resonance Imaging(磁気共鳴画像)の略語で、磁気と電波を利用してあらゆる断面の画像を得ることができる撮影方法。撮影の時は、狭いトンネルの中に入って大きな音の中で検査する
私はこの検査を初めて受けた。首と腰に激しい痛みがあり、介護に支障があるからだ。磁気共鳴というくらいだから大きな音がしても不思議ではないが、あまりにも大きな音がしたのに驚いた。30分くらいの間、検査装置の中に横たわっていたが、認知症の人には大きな負担だと思った。それにしても、介護者が先に身体の不調でダウンしたらもうおしまいだわぁ~。



改めて解ったこと

どんなに勉強して「情報武装」したところで、所詮 素人は素人である。私のことである。岩田先生のブログを読み返していて、改めて理解できた。「第2版 認知症の行動と心理症状 BPSD」を読んで という記事がある。以下、一部転記させて頂く。なお、同書は国際老年精神医学会(IPA)が作成した老年精神医学専門教育のための教材集「BPSD教育パック第2版」の日本語版である。
BPSDが大きな問題であるが、非薬物療法や薬物療法は確立されていないというのがこの本の結論であろう。国際レベルで考えても、コウノメソッドは完成度の高い中核症状および周辺症状に対する薬物療法であると言える。
実はこの本、今は役目を終えて私の本棚に眠っている。自費で購入したのではなく、ある製薬会社から送られてきたのである(勿論、無償である)。2回くらい精読したが今ひとつピンと来なくて納得できずにいたのだが、上記の岩田先生の書評を読んで改めて解った。確かに、海外のサイトで認知症治療についていろいろ調べてみたことがあるが、「BPSDへの非薬物療法や薬物療法は確立されていない」という主旨で結論付けられていることが大半である。

今更どうでもよいことではあるが、「何故、製薬会社がこの本を送ってきたのか?」という疑問である。「送付先リスト」は、某学会の会員名簿であろうことは容易に分かる。さて、「非薬物療法や薬物療法は確立されていないというのがこの本の結論であろう」とすると、製薬会社が経費を投じてまでこの本を会員に送付(贈呈・寄付)するメリットが何処にあるのであろうか? 今も解決されない謎である(笑)


今週の一曲

まだ8月なので学生は夏休みである。夏休みと言えばラジオ体操である。「ラジオ体操の歌」を歌っておられるのが、なんと藤山一郎先生なのである。聴いていて実に清々しい。40数年前、夏休みになると近所の広場に出かけてラジオ体操をした記憶がある。
当時の小学校の友人は皆、就職して出て行ってしまった。残された親は、老老介護であったり施設に入所して暮らしている。現在、同級生の親のお世話をさせて頂いている。時代は変わったというか、私自身が年を取ったというか、こればかりは避けて通れない道なのである。



2014/08/19

昔の常識、今では非常識

パラダイムシフト

今は昔、それまでは「常識」とされていたことが現在では「非常識」(実現できて当たり前)ということはいくらでもある。そのひとつに、認知症治療も加えて良い時代になってきたのではないだろうか。

「治せない」とあきらめて生きるより、「治せる」と信じて解決策を求めることの方が現実的であり、生産的である。もっとも、認知症患者自身が率先して自発的に効果的治療を求めて行動することは少ないだろうから、家庭介護者や施設介護者が行動しなければ何も始まりはしない。


医療・看護・介護の連携力とは

だいたい、こんな感じかな?知識レベルの程度の差こそあれ、認知症治療の共通プロトコルをコウノメソッドに据えて一元化された治療戦略に基づいて、医師主導の下で看護師・介護士・ケアマネも連携して認知症患者の治療にあたる。

そうは言っても、近くに認知症をちゃんと治せる医師がいないことにはどうしようもない。認知症を治せない・治す気もない医師にしがみついていても何のメリットもない。だから、コウノメソッド実践医の元に駆け込むのが極めて現実的選択なのである。

2014/08/18

第1回認知症治療研究会のお知らせ

「第1回認知症治療研究会」開催日程、いよいよ告知される(2014/08/18)。認知症についてどういうふうに勉強したら良いのか、このブログでも再三書いてきたけれど、こういう研究会に参加するのも一案かと思う。


下世話なハナシで恐縮なのだが、一般的なこととして学会の発表会に参加するには参加料が1万円前後徴収される。とてもではないが、経済的理由から普通の介護職の人には参加したくても参加しがたい存在である。
ところが、この研究会の参加費は1,000円なのである。にも関わらず、最新の認知症治療について学ぶことができるのである。因みに、会員になるのに会費は無料である。一度、認知症治療研究会のホームページを覗いてみてほしい。

今のところ、この研究会に入会したからといって何の特典もない。けれど、認知症について学ぶ動機付けのひとつになるかもしれないし、団塊の世代が後期高齢者となり認知症患者が急増すると危惧される「認知症爆発」の時代に備える、小さいながらも着実な「力」となるかもしれない。



いや、本当は「将来の危機的状況に備える」などという悠長なこと言っている状況ではないのが実情なのである。「今でしょ!」なのである。


極めて端的な例を示しておきたい。レビー小体型認知症(DLB)は症状の進行(悪化)に伴ってピック化することが臨床報告されている。「レビー・ピックコンプレックス(LPC)」というのだが、この症状の変化に気付けるかどうか、治療できるかどうかが、介護者の力量であり医師の力量でもあると言って差し支えないと思う。



このような切実かつ現実的課題を解決できるのが先に紹介した認知症治療研究会なのである。

2014/08/16

必要だけれど、やらないこと

それは、認知症勉強会

どうも八方塞がりだわい・・・ 認知症の勉強のことである。介護現場に正面切って「認知症の勉強が不可欠」などと私が言ったところで馬耳東風なのである。だから、勉強会の必要性を感じながらも、私はおとなしく静観するしかない。

ふと考えてみると分かるが、褥創だの口腔ケアだの感染症予防だのと言ってインターネットで入手した数ページのコピーが配布されることがあるが、それを私は真剣に読んだことがない(せっかく配って下さったのだから見るだけは見る)。既に十分にそれらを熟知しているからではなく、あまり興味がないからである。従って、広く浅く薄っぺら程度しか知ろうとしないのである。


認知症についても同様のことなんだろうなぁ~という気がする。入所系施設であれば、三交代勤務であるから、日々の過酷な業務で疲れて帰宅する。家事や身の回りのことをやって寝る、そういうことのくり返しである。「いつやるの? 今でしょ!」なんて言われても、そうそうできるものではない。

やはり、認知症をちゃんと治せる医師が身近に居て、「認知症は治ります」と実例を示して見せて、一般に浸透した「認知症は治らない」という誤った常識を捨てさせることが正攻法なのだろうなと思う。平山先生の「鹿児島認知症ブログ」に「コウノメソッドの勉強会が開催」という記事が公開されているのを見て羨ましくなった。

毎日、治療失敗事例ばかり見て、そこから認知症を学ぶというのも何だか、非生産的で虚しいものである。介護へのモチベーションは下がりますわぁ~。ならば、「私がやります」と、講師役を名乗り出たとしても却下されるのは「火を見るより明らか」である。何故なら、介護が医療に口出ししてはならないことになっているらしいから。家内からも、母からも同様のことを言われて、私は「四面楚歌」なのである。

こういう認知症に対する無知・無関心というか、プアな「情報武装」のままで居続ける限り認知症介護は旧態依然として楽になる日は来ないのである。「ユマニチュード」などという程度のレベルでは認知症に太刀打ちできないのであるが、認知症の人への接し方・態度すら十分とは言い難い人も多いのは残念なことではある。岩田先生のブログにある、「認知症治療で使われている薬と介護者の観察ポイント- コウノメソッドによる認知症診断および治療の実際-」が理解できるレベルに到達できるようになりたいものだ。

ピック病 ー引き裂かれた家族ー

ピック病 ー引き裂かれた家族ー

私は四方を山に囲まれた田舎の生まれである。そこに住んでいた当時は、町医者が近くにあったのだが、過疎化が進んだ現在は無医村である。病院も買い物も約10kmほど離れた町まで行かなければならない。

JRと言えば電化などされるはずもなく、1時間に1~2便が停車する程度である。久大本線と日田彦山線が合流するこの「夜明駅」は、鉄道ファンには名前が珍しいということで有名らしい。無論、無人駅である。
この駅から約10kmほど下った所に親戚が住んでいるが、近年はすっかりご無沙汰している。
今回はその親戚、伯父の話しである。




いつの頃からか知らないが多分50年くらいの間、伯父は洋裁店を一人で商い、洋服の仕立て直しやテーラーメイドの紳士服を縫っていた。寡黙で実直な人であり、仕事を終えるとパチンコに行くのが楽しみだったという。

数年前、そんな伯父から実家の親宛に手紙が届いたのだが、過去と現実と虚構が交錯する支離滅裂な内容であった。手紙をやり取りする慣習もなく普通に親戚付き合いをしてきただけに、私には怪訝に思えた。それから暫く音沙汰のないままに時が流れたある日のことである。伯父は数10kmほど離れた所で警察に保護されたという知らせを聞いた。

それで従姉妹(伯父の長女)に電話で話しを聞くと、「前頭側頭型認知症で入院している。暴力が酷くて身体拘束を受けている」ということであった。私はピンときたので、「前頭側頭型認知症(ピック病)にはアリセプトは使えないが、どういう治療をしているの?」と尋ねてみた。
「どういう治療をしているのか分からない。治療は病院に任せている」と従姉妹は言う。

後日、自宅から約100kmほど離れた田舎に伯父の見舞いに行った。伯父の入院中の病院は認知症治療専門の病院である。某学会の認知症治療研修施設でもある。
殺風景で暖かみの片鱗さえ感じない病院で、老い衰えて変わり果てた伯父に久しぶりに会った。ベッドの両サイドの柵には拘束用のベルトがあった。病室に入った私達には無関心であったが、私達のことは会話を進めるうちに幾らか思い出したように思えた。アルツハイマー型認知症(ATD)のような「その場凌ぎの取り繕い」をしないから、たとえ一時的にであるにせよ、私達を思い出し認識したことであろう。

私はどういう治療をしているのか主治医に訊いてみたいと思ったが、従姉妹も私の家族も「主治医との関係があるから」という理由で会うことを咎められた。(医師に何の遠慮がいるものかと思ったが、引き下がらずを得なかった。) 
田舎ほど、また年齢がいった人ほど、「医者は絶大な権威を持ち、仰ることのすべては絶対唯一正しい」と思う傾向にあるように思える。
私は、前頭側頭型認知症(ピック病)には、ウィンタミンとフェルガードが合うから相談してみるように従姉妹に助言して病院をあとにしたのだが、私のような素人の助言など、それが正しいことでも、聞き入れてもらえる筈もない。

それから1年経てまた見舞いに行った。ちょうど車椅子に乗り、他の患者と共にデイルームに居た。従姉妹に声を掛けられて私達の元に伯父がやって来たが、暫く話しをするうちに私達のことを認識したようである。しかし、歓談の終わらぬうちに伯父は気の向くままに遠くに居る集団の方へ立ち去って行った(立ち去り行動)。これが症状のひとつなのであるから仕方ないが、遠くからわざわざ会いに来ただけに残念でならなかった。

その談笑の途中、ひとりの老婆が独歩でやって来て私の隣に、身体が触れ合う程の所に座った。ひと目見ただけでアルツハイマー型認知症(ATD)だと直感したので、「こんにちは。調子はどげなふうかい?(調子は如何ですか)」と声を掛けた。すると、その老婆は「いいばい。(良いですよ)」と愛想良く答えた。多分、ピュアなATDで、治療が上手くいっているのであろう。
「あんたんこつが気になって来たつばい(あなたのことが気になって会いに来ました)」と私が言うと、その老婆は喜んで「よう来てくれた」と言った。初対面なのに実にあっけらかんとして人なつっこいのである。暫く井戸端会議のように会話が続いたのだが、その様子を隣で見ていた私の母は「知り合い?」と訝しがって私に訊いた程である。
 
それからまた1年経過したが、見守りの手が掛かるので息子夫婦との同居は見込めず、また受け入れ施設も見つからず病院に入ったままである。今では面会に来た実の娘のことさえ分からなくなってしまっている。由々しきことは、恐らくこの病院は地域の認知症治療の中核的存在であろうということである。入院している患者・家族は言うに及ばず、そこで従事する職員もまた哀れなものである。間違った治療が、不当かつ過大な看護・介護負担を課しているからである。こういう事例(惨劇)は全国各地で生じていると思って間違いない。


この人に聴く 長尾和宏先生

長尾先生(長尾クリニック院長、認知症治療研究会世話人)のお話しである。私の父(故人)は癌ではなかったのだが、嚥下機能を失い胃瘻となった。住宅改修までして在宅介護を家族で分担したが、結局病院で最期を迎えた。在宅中は、母、姪(看護師)、息子(介護士の私)、私の妻の4人で24時間体制、加え訪問看護サービスも利用させて頂いた。私流に言えば「恩返し」のつもりであるが、どれだけ恩を返すことができたか一抹の悔いは残る。
平穏死」であったか? 多分そうであったと思いたい。入院先の病院は、「延命措置しません。必要最低限の医療しかしません」と言っていたから、枯れるような最期であったので平穏死なのだろう。この平穏死という言葉をもっと早く知っておけば良かった。因みに、父は上に掲載した駅の駅員であった。蒸気機関車が走る時代のことである。



長尾先生と言えば、朝日新聞の医療サイト apital の町医者だから言いたい」に毎回投稿されている。こういう記事を欠かさずこまめに読み続けるのもひとつの勉強方法だろうと思った。

2014/08/11

抑肝散加陳皮半夏で著効

抑肝散加陳皮半夏で著効

抑肝散加陳皮半夏が効いた。・・・と言っても、実は私の自験例である。更年期障害の諸症状が心身共にいっぺんに現れてとても辛い思いをしていた。特に理由もないイライラと憂鬱な気分が入り交じっていて、じっと我慢するのも限界を感じながら仕事をしてきた。

「もう限界だ・・・!」と、危機感と不安感を抱えてクルマを約30分ほど走らせ、漢方も処方して下さるという内科を訪れた(「藁をもすがる」思いで駆け込んだ)。どこの病院でも漢方を処方して頂けるのかどうかは知らないし、病院選びも「あたり」・「はずれ」があるのだから「あたり」に巡り会いたかった。だから、前々から名前だけは知っていた町医者の元に行った。

昔から、子どもの夜泣き、疳の虫に抑肝散くらいのことは知っていた。だから、「私のイライラには抑肝
散だろう」と希望していたら、問診の末に「抑肝散加陳皮半夏」(ツムラ抑肝散加陳皮半夏 83)を処方して下さった(1日3包)。すぐには効かないだろうと漢方への先入観を持っていたのだが、24時間以内に効いた。イライラと憂鬱な気分が解消されたのである。特に夕方から夜にかけて生じる理由のないイライラがなくなった。おまけに、朝の目覚めが良いのである。こんなことなら、我慢せずにもっと早く受診して相談すれば良かった。
「著効」というのは、こういう時に使う言葉なのだろうと実感した。

それで思い出したが、あるLPCの利用者に抑肝散が処方されて、1~2日後には幻覚と妄想による大声が消失した事例があった。(レビー症状は消失したが、ピック症状はまだ残っていた。) その時、「こんなに早く効くの?!」と私は驚いていた。

これでめでたしめでたしと言いたいところであるが、日々のどうしようもない程の介護疲れ・肉体疲労は残ったままであることは言うまでもない。日頃、老年期のことばかり(特に認知症)で「情報武装」しているが、更年期についても同様に知っておかなければならないと反省である。
介護者が先に倒れたら、被介護者は暮らしていけないのである。

 参考:漢方のポータルサイト

2014/08/09

現場で観るピック病

現場で観るピック病「4」

今回もピック病の話題である。ピックスコアは経験学的な「診断基準」で、前頭側頭葉変性症(FTLD)の鑑別に用いるのだが、このピックスコア4点以上に93.4%が入るという。だから、このピックスコアは臨床のみならず、介護の現場でも使いたい。
認知症の中で一番手を焼くのがピック病であるが、「急に不機嫌になったから、トイレに連れて行く」という程度にしかその対処方法が理解されていないし、それでたまたま排泄を済ませてしまえば「これで良し」とする。そういう低いレベルの介護現場であり続ける限り、低いレベルの認知症医療もまた改善されないのである。こういうツールを活用してピック病を見抜き、適切な治療に繋げたい。


・診察拒否傾向、不機嫌、採血を異常に怖がる
トイレに行くのも、食事を始めるのも、レクレーションに参加するのもみな拒否する傾向にある。ATDやDBLでも拒否することはあるが、拒否や抵抗の度合い・強度がより強いのである。
ATDに比べると愛想がなく、ぶっきらぼうで、不機嫌な印象である。
施設で採血する様子を見る機会は少ないだろうが、たまには採血することもあるので注意して観察しておきたい。日常的なこととして爪切りがあるが、ピック病の人はこの爪切りを異常に怖がり激しく抵抗することもある。 

・医師の前で腕や足を組む、二度童
施設利用者が足を組む様子をあまり見たことがない。もしかしたら、この年齢層(平均86才)の時代背景から足を組むという生活習慣がないのかもしれないし、女性が圧倒的に多いのも理由なのかもしれない。そういう中にあって、足を組む人をよく観察するとピック病である。自分が介助されている状況をわきまえずに、腕を組む・足を組むとみなしてよいだろう。排泄介助の際、便器の前だというのに車椅子に座り足を組んだままという行為は少しばかりムッとくる。
二度童(わらべ)。状況に鑑みて大袈裟過ぎるくらいに笑ったり、子どものように泣き出したりする。私は突然に「じゃんけん、ポン!」と言って、利用者にじゃんけんで負荷をかけることがある。それに応えてじゃんけんして喜ぶのはATDではなく、ピック病に多い印象である。

・なかなか座らない、立ち上がる、座る場所が違う、勝手に出て行く
目的もなく立ったままでいられたり、立ち上がったりされると転倒リスクが増大するし、見守りの負担がかかるから、「どうぞ、おかけください」とか「どうぞ、お座りください」と言って座るように声かけするのだが、こちらの言うことを聞かない人は本当に聞かない。
こちらの言っている意味が理解できないのかと思って、こちらが先に座って見せて着席を促しても座らないのである。このことは、ピック病の人ほど強い傾向にある。ピュアなアルツハイマー型認知症(ATD)であれば、適当に言いくるめて座らせることはたやすいが、ピック病の人は難しい。余談になるが、私は敬語で「どうぞ、おかけください」と言う習慣があるのだが、「おかけください」では語義が通じないのかと思ったことがある。だから、「お座りください」と言うのだが、座らない時はなかなか座らないのである。
勝手に出て行くというのもある。周囲への気遣いがまったくなく、「我、関せず」といったふうである。その場から離れるような状況ではないにも関わらず、「何処かに行きたいから行く」といった感じである。施設ではADLの理由で車椅子利用者がほとんどである。介助なしでは移動できない人は、例えばレクレーションの最中に「我関せず」といったふうで、まったく参加しない。自力歩行ができれば、勝手にその場から出て行くであろう。

・FTLD検査セット ①利き手はどちら ②右手で左肩を叩け ③「サルも木から落ちる」の意味 ④「弘法も筆の」何?
このFTLD検査セットはよく使う。①~④まで答えられない人は本当にまるで得点が取れないのである。特に①の「利き手はどちら」で躓くことが多い。ちょっとした空き時間に、雑談から始めてクイズをやるかのように質問するのであるが、単に答えられるか答えられないかだけではなく、答えるときの態度や発話の内容も重視している。質問に対してそっけなく「分からん!」と言うか、思いつきで見当違いのことを言うかで「○○○っぽさ」を掴むのである。経験を重ねるうちに、ピックもATDも、DLBの鑑別もできるようになるものである。

・知能検査中に「どういう意味?」と聞く、相手の言葉をオウム返しする
たまに聞き返されることもあるが、大抵は黙り込まれてしまう。言葉のオウム返しには遭遇したことがない。若ければ聞き返すだけの能力があるかもしれないが、80~90才代の人ばかりを相手にしているからなのかもしれない。

・勝手にカルテを触る、口唇傾向(吸飲、口鳴らし、鼻歌)
目の前のテーブル上にあるモノには何にでも手を出すのである。自力で湯飲みを持ってお茶が飲めなくても、目の前の湯飲みに手を出す。おしぼり、タオル、お膳の器でも同様である。口唇傾向のうち吸飲は見かけることがある。

・ADLが良いのに改訂長谷川式スケール7点以下
年に一度、「改訂長谷川式スケール」を実施しているが、平均年齢86歳、要介護度4の施設では大半が一桁の得点である。当然、ADLも良くない。それでも、「ピックぽいね」という雰囲気や空気は感じ取ることができるのである。

・盗癖、盗食、無銭飲食(これら1回既往でも陽性)
施設の備品(タオル、おしぼりなど)を盗ることは見かける。盗食は油断していると頻繁に生じることである。だから、食事で配膳する時にはピック病の利用者に先に配膳してから、隣席の利用者に配膳するようにしている。順番を間違うと盗食が発生する。お膳の内の一品ということもあるし、お膳丸ごとという場合もある。

・病的甘いもの好き、過食、異食、掻き込み、性的亢進
異食は油断すればすぐに発生する状況である。その他は食事の管理がなされているから見ることはない。掻き込みは、血管性認知症の利用者で見ることがある。性的亢進は見たことがないが、聞いた話しでは、女性職員の身体を触る男性利用者がいる。冗談で「今夜、一緒に寝ましょう」と言って笑わせることをするが、「きゃははぁ~」と反応する程度のことしか見受けられない。

・スイッチが入ったように怒る、急にケロッとする
この症状はピック病を知らない人にとっては不可解であり、もしかしたら脅威でもあろう。特別なにか怒らせるようなことをした訳でもないのに、突然怒り出すからである。こういう場合、きまって「トイレに行きたいのだろう」と思ってトイレに連れて行くことが多い。これが誤りだとは言い切れないが、あまりに稚拙な発想と対処である。ピックセットで治療することが先決である。こういうことが分かっていなければ、1年後も5年後も同じことをやっているだろうことは火を見るより明らかであり、介護負担はさらに憎悪しているかもしれない。

・シャドーイング(家族の後ろをついてくる)、一人にされると逆上、人混みで興奮 
これらは不思議と見たことがない。

・大脳萎縮度に明らかな左右差がある(側頭葉や海馬)、ナイフの刃様萎縮、強い前頭葉萎縮
こればかりは介護現場ではどうしようもない。けれど、河野先生、岩田先生、平山先生の各ブログに掲載されるCT画像は必ず真剣に観て、自分で鑑別できるように練習(?)している。自分がもし診察の場に居て、医師からCT画像の説明を受けることになった場合に備えてのことである。但し、コウノメソッド実践医の元に駆け込むから、心配いらないのだけれど。


以上に記したことは、「ピック病の症状と治療」に詳しく書かれていることだがこれを自分の経験を通じて介護現場に当てはめてみたことである。
一般的に言って、認知症に関する書籍というのは、医学なら医学一辺倒であり、介護なら介護一辺倒である。だから、介護の立場で書かれた本では、「薬物療法については他書に委ねる」などと書かれていることが多いようである。つまり、「薬物療法」と「非薬物療法」、医療と介護その他を融合して包括的に書かれた書籍は少ないのである。ある意味、専門領域を超えて融合・連携する極めて学際的な深いレベルにまで記述された認知症専門書が欲しいと思うのは私だけであろうか。分冊構成では介護関係者は「医療編」にまでなかなか手を出さないであろうから、コンパクトで分厚い体裁が良いかもしれない。

などと書きながら机上に「完全図解 新しい認知症ケア (医療編)」があることに気付いた。サッと一通り目を通したが、その後殆ど読み返すことがないから不思議である。
大型の本だからだろうか? 百科事典ふうだからであろうか? 活字が小さいからであろうか?






本の話しに脱線してしまったから、更に脱線する(私は脱線する話しが好きなのである)。認知症について学ぼうと目標を立てた当初、最も頻繁にくり返し読んだのが、「改訂・老年精神医学講座」(ワールドプランニング)の総論と各論である。
この2冊は、ある学会の専門医認定のための教科書だそうで、「教科書なのだから、そこに書かれていることくらいはしっかりおさえておこう」と何にも知らない私はくり返し読んだ。教科書がボロボロになるくらい読んだ。
いつのことだったか定かではないが、コウノメソッドに辿り着いた。そして現在、これらを照らし合わせてみて疑問に思う記述もあるが、この教科書に羅列された項目と内容の質実共に凌駕する、真に役立つ教科書の編纂・発行を認知症治療研究会(学会)に期待したいと痛切に思っている。
認知症医療は年々進化している。「治せる認知症」の圏内に、ひとつでも多くの「昔の治らない認知症」を網羅していって欲しい。


ところで、このブログ「認知症介護通信」で度々紹介させていただいてる、河野先生が著した「ピック病の症状と治療」の序文に以下の記述がある(P.12)
「この患者は、主治医はアルツハイマーと言っているが、ピック病ではないかしら」と気付ける職員がいたらどうでしょうか。患者は処方変更で退院できる可能性があるのです。
実際、私はショートステイ利用者3人でピック病と、不適切な処方を見抜いたのだが、何もできずに今日に至ってしまっている。これは、何も知らない職員には想像できないストレスであり、トラウマでもある。こうなってしまった一因は、岩田先生が「認知症になったら真っ先に読む本」でご指摘のように多職種連携が欠如しているからであるということを指摘しておきたい。



まったく期待せずに観た・・・ やっぱり! 

こういう認知症にまつわる「お涙ちょうだい」番組が報道され続ける限り、認知症医療はいつまで経っても進歩しないし、認知症、とりわけピック病の患者も家庭介護者も施設介護者も救われないわぁ~!

日本テレビ系列「あのニュースで得する人・損する人」
8月7日放映 認知症スペシャル第2弾
アルツハイマー型の認知症は、認知症全体の6割しか満たない。記憶ではなく感情のコントロールできなくなり、最悪の場合犯罪を犯してしまう可能性もある「ピック病」▽ピック病を患い、笑顔を失ってしまった妻と、彼女を支え続ける夫。病気と闘うご夫婦に密着!40~50代という若い世代が危険だというピック病の早期発見の方法とは!? (同番組紹介より転記)

番組の前半ではピック病の症状の説明は良くできていたが、後半は「治療方法なし」ということで「介護現場」に時間が割かれてしまっていた。ディレクターも勉強して、こういう番組作りの功罪に気付いて欲しいものである。「認知症は介護で解決するもの」という誤った認識だけを潜在意識の中に埋め込んでしまうだけなのである。まあ、ピック病をメインテーマに紹介してくれただけで良しとするか・・・



頑張れ!ケアマネージャー

ケアマネジャーに対する医者の横暴を許すな (岩田先生のブログより一部転記)
複数のケアマネージャーから聞いた情報である。近隣の複数の医師が居宅介護事業所に電話をして所属するケアマネージャーが認知症専門医を紹介したことに文句を言っているというのである。ケアマネージャーに「認知症に気づいてくれて有り難う」というのが筋なのに「主治医を差し置いて患者を紹介するのは如何なものか」と言っているいうのである。
私にも同様の経験がある。ショートステイ利用者で、明らかなピック病であるにも関わらずアルツハイマー型認知症としてアリセプトが処方されていた。従って、周辺症状が酷くて介護負担は必要以上に憎悪していた。介護拒否、異食などがあり四六時中目が離せないのである。 
その滞在中、異食事故があり2件の事故報告書が上がったのだが、「見守り不足」などと相変わらず自虐的な原因分析を書いているのだからやりきれない。診断と処方が誤りなのであるから、それを正すことが先決である。その上で、介護の介護の課題を分析すべきである。まさに「第一選択肢は薬物療法」であり、「第二選択肢が非薬物療法」なのである。
業を煮やした私は、直属の上司の前で「診断が誤りなんです。この人はピック病ですから、処方もまずいですね」とぼやいたら、施設長に呼ばれて「医師の診断に口出ししてはいけません・・・」と諭されたのである。2人とも尊敬する上司であるだけに残念でならない。
岩田先生の事例は、ケアマネージャの適切な判断と対応として敬服させられる。自分が正しいと思うことを行動に移しただけであり、天晴れである。逆に文句を言ってきた医師は「お客をとられた」とか、「自分の治療方法に間違いはない」と自信を持っておられるのだろうか? いずれにしても、認知症を治せる専門医の元に連れて行かれた認知症患者が羨ましいと思う。

医療というのは少しばかり特殊性と特権のあるサービス業なのかな? はっきり言って、治しても治さなくても診療報酬が頂けるのである。出来高払いなのだから、患者が逃げ出さない限り下手でも治療を続ければ収入が得られるのである。民間の一般企業なら絶対にこういう訳には行かないし、満足のいくサービスが提供されないような会社なり、お店からは客が逃げていく。当然のことである。



今週の一曲

春日八郎と言えば、「赤いランプの終列車」(1952年、昭和27年)か「お富さん」(1954年、昭和29年)であるが、「長崎の女」(1963年、昭和38年)を是非聴かせて歌って欲しい。これはただの好みである。長崎(市)と言えば、「坂の町」である。長崎港を中心にみると三方を山に囲まれたすり鉢状の地形をしている。 
傾斜地という地形の関係から、1階の玄関から建物に入ったつもりでいたら、実は2階であったりもする。やたらと階段も多いし、クルマの離合が難しい細く曲がりくねった道も多い。だから、デイサービスで送迎するスタッフは大変だろうと思う。