2015/08/28

EBM とNBMとコウノメソッド

コウノメソッドはNBM

少しばかり寂しがり屋で「自分の居場所」を失いかけているばあちゃん(MCIレベル)に後を追っかけられ、LPCのばあちゃんの陽性症状にイライラさせられる。私は私で角膜潰瘍で左眼が痛くて眼帯をしている。「失明のリスクがありますよ」と医者に言われ、治療の日々。病気とその治療を、物語として、「ストーリー」ではなく「ナラティブ」で捉えると、見えてくることがあるのですね。

前々から、「NBM」という言葉だけは知っていたのですが、意味をよく知らなかったので調べてみたら、コウノメソッドを理解するのに有益なことが解りました。



EBM(Evidence Based Medicine)臨床医学の実践法はランダム化臨床比較試験が診断や治療分野でも多数行われ、多数の文献をまとめて系統的に検討するメタ分析meta-analysis)の手法を用いた論文が主流。これらの有益な臨床実践を示す論文を活用するのがEBM(根拠に基づく医療)であり、臨床現場で活用されている。

NBM(Narrative Based MedicineEBMは確率論が抱える問題を内包しており、個々の患者が個性的であればあるほどevidenceが当てはまる部分は低下していく。患者の「語り」を通じて患者の信念にアプローチしようという方法が、EBMの限界を補完する実践法であり、NBMNarrative Based Medicine)である。


EBMが主流であり、NBMはその補完的手法であるとする既成概念は、ともすれば「EBMは科学的」、「NBMは非科学的」というレッテル貼りに繋がるのでしょうか。「科学的とは何か」という大きなテーマはさておき、「認知症は治せるのか」、「どうしたらいいのか」という切実な問題に答えを出してくれることが必要なのです。

「サプリメントにはエビデンスがない」と言って理解を示さない医者に従わず、家族がサプリメント(フェルガード)を認知症患者に服用させて穏やかに暮らせるようになった事実を見て、「良くなった」と実感できればいいのです。その患者・家族にとっては、その事実がエビデンス(証拠)なのです。

論文の体裁をしたデータや情報にのみエビデンスを求めるのであれば、おそらくいつまで経っても認知症は治せないことでしょう。EBM偏重ではなく、NBM重視にシフトすることもまた必要です。
患者家族・施設介護者は、更にもう一歩踏み出してIBMが必要なのです。



 IBM(Intelligence Based Medicine)
アイビーエム(International Business Machine)、コンピュータメーカのことではない。Intelligenceとは情報を単に集めるだけでなく、集めた情報を分析して活用することであり、CIA(中央情報局)の’I'とほぼ同じ意味です。「情報」を’Information’とせずに’Intelligence’としているのはそういうことだからなのです。



純然たる医学用語としては、EBMNBMのふたつの用語で足りることなのでしょうが、認知症医療に関してはこれらふたつの手法を包括する’IBM'を認知症患者の介護者が認識しなければならないという気がしてならないです。
インテリジェンス(Intelligence)とは、理解力や思考力を元に情報を分析して活用する能力(あるいは行動力)という意味です。.俗に「あの人はインテリだ」というのとはニュアンスが異なります。

ある意味、認知症は「情報戦争」なのです。インターネット社会の今日、認知症に関する情報は溢れています。書店には認知症に関する色々な書籍が並んでいます。究極的には、認知症介護者にとって必要な情報とは、今困っている症状を治療する方法はあるのか、あるとすれば何処でその治療が受けられるのかということです。溢れる情報の中から、「これだ!」という情報を掴み、適切な治療に結びつける、これをIBMと言っているのです。

EBMからNBMへのシフト

「コウノメソッドにはエビデンスがない」と批判され、なかなか一般に普及しない現実があります。このことは河野医師の著書にも記されていることです。エビデンス偏重の医療現場の現状からではコウノメソッドを理解することは難しいのかもしれませんが、NBMの視点を持てば理解は容易であろうと思います。
医師と患者と介護者との対話
以下青色表記は、大日本住友製薬 医療情報サイトより転記引用

EBMNBMは相互に補完的であり、NBMを加えることによってEBMの体系は完成する。
このような観点からEBMを実践することにより、EBMは真に患者中心の医療となる。
EBMNBMは寄って立つ世界観が異なっているので、簡単に統合することはできないが、患者と医師の出会いの場面において両者は共存しうる。
■EBMNBMは異なる2つの世界観であるが、患者と医師の対話の現場において、NBMEBMを包摂・統合しうる。

EBMからみたNBM
EBMは、「個々の患者のケアに関わる意志を決定するために、最新かつ最良の根拠(エビデンス)を、一貫性を持って、明示的な態度で、思慮深く用いること。(Sackett DL:BMJ,1996)」と定義されています。この定義から分かるように、EBMは、普遍的な方法を医療に提供するものではなく、あくまでも、目の前の実際の患者さんに焦点をあてる方法論であると言えます。EBMは、個々の診療の中で、エビデンスを患者のためにいかに適切に利用していくか、という方法論であるといえます。

もう一つ、別の観点からEBMを定義すると、EBMとは、「論文などの外部からの検索により得られたエビデンス情報(external evidence)」、「患者の意向・価値観(patients' preference)」、「医師の専門的臨床能力(clinical expertise)」の3つの要素を、臨床場面において統合するものである、と言われています。
つまり、EBMとは、決して研究論文を検索したり、批判的に評価したりすることだけにとどまるものではなく、患者の主観や、医師の臨床能力をも重視するものであると言えます。

さらに、EBMの実践には、有名な5つのステップが設定されており、それは、
 1)患者の問題の定式化、
 2)エビデンス情報の収集、
 3)得られた情報の批判的吟味、
 4)情報の患者への適用、
 5)これまでのステップの評価、
の5つです。
このうち、ステップ2、3は、目の前の患者さんを離れて、コンピュータ・データベースなどを利用した作業となります。問題は、このステップ2、3のみが、EBMであるかのようにしばしば誤解されていることです。
EBMの実践のためには、患者さんから十分に話しを聞き、いったい何が問題であるのかを判断するステップ1と、得られたエビデンス情報について、患者さんと対話しながら方針についての合意を得るステップ4が非常に大切なのです。EBMのステップ1、4は、患者さんとの対話の実践であり、それはNBMの実践そのものと言っても良いでしょう。

もう一度、EBMの実践における3要素(エビデンス、患者の意向、医師の臨床能力)を振り返ってみると、患者さんの意向を知るためには患者さんとの対話が不可欠ですし、医師の臨床能力の重要な部分として、患者さんとコミュニケーションする能力が含まれていることは論を待ちません。
このような意味からも、EBM実践は、すでにNBMの実践を前提として含んでいると言って良いのではないでしょうか?

患者さんのために役に立つ医療を実行するためには、統計学や臨床疫学の知識だけでは不十分であり、患者さんとの有効な対話を行う洗練された方法論が必要です。その意味からも、NBMEBMを補完しているという言い方も可能ですし、EBMNBMをすでに含んでいるという言い方も可能です。さらに、NBMとは実はEBMそのものである、という言い方をする人さえいます。筆者も、このような見解に敢えて反対するものではありません。

NBMからみたEBM
前項において、患者さんのために丁寧に実践されるEBMは、実はNBMをその中に含んでおり、言い換えれば、NBMによってEBMを補完することにより、EBMは患者中心の医療として完成する、と説明できます。これはこれで正しいと思います。しかし、翻って、NBMの観点からEBMについて考えてみると、実はこれだけでは説明仕切れない幾つかの重要なポイントがあります。

その第1は、実際の診療においては、患者さんの問題解決に役に立つエビデンスが現在のところまだ得られないということがしばしばある、ということです。これに対するひとつの対策は、質の高いエビデンス(無作為抽出試験:RCTなど)が現時点で見つからない場合には、質の低いエビデンス(臨床疫学的研究に基づかない何らかの根拠:例えば専門家の見解など)で我慢する、ということです。多くの診療ガイドラインはこのような発想に基づいて作成されています。しかし、これではEBMの厳密性が大幅に失われて、容易に昔ながらの経験主義的な医療に逆戻りしてしまうおそれがあります。

これに対して、NBMの実践においては、必ずしもエビデンスが得られなくとも、その問題について患者さんと対話を重ねることによって、そこから新しい物語が浮かび上がることを期待するという方策で対処することができます。EBMはエビデンスなしには実行できませんが、NBMはエビデンスのあるなしにかかわらず、患者さんとの対話をより所として実践することができるのです。

第2に、そもそも患者さんにとっての問題が、EBMの実践が可能な形で定式化できないような状況では、EBMの実践は甚だしく困難になります。例えば、患者さんの問題が、「なぜ今私がこんな病気にならなければいけないのか?」といった、患者さんの人生における意味、価値など、実存的な問題にかかわっているような場合、EBMではそれを、「この患者さんの『うつ状態』に対する有効な介入法は何か?」といった形でしか定式化できません。
しかし、このような患者さんの苦しみを、単純に「うつ状態」という医学的概念によって定式化したとしても、患者さんの抱える大きな苦しみの極く一部分しか扱えていないことは明らかでしょう。

患者さんの抱える問題を医学的概念によって分割し、その一部分だけを定式化して扱うのではなく、多様な観点を含む患者さんの物語をまるごと把握しつつ、全人的な対話を続けることをNBMは目指すのです。

第3に、患者さんの問題が定式化され、信頼できるエビデンスが得られたとしても、それを臨床実践の場面を持ち込む時、以下のような問題がしばしば起こります。<中略>

NBMEBMは車の車輪
最後にEBMNBMを統合することは可能か?という問題について、もう一度まとめておきたいと思います。第1に、「EBMNBMは相互に補完的であり、NBMを加えることによってEBMの体系は完成する」という考え方が可能です。このような観点からEBMを実践することにより、EBMは真に患者中心の医療となるものと思われます。
しかし一方では以下のような考え方もあります。「EBMNBMは寄って立つ世界観が異なっているので、簡単に統合することはできないが、患者と医師の出会いの場面において両者は共存しうる」とする考え方です。筆者はさらにその考えを一歩進めて、「EBMNBMは異なる2つの世界観であるが、患者と医師の対話の現場において、NBMEBMを包摂・統合しうる」と考えています。

2015/08/10

レビー・ピックコンプレックスの症例

レビー・ピックコンプレックス

診断ではなく分類としてレビー・ピックコンプレックス(Lewy-Pick complexLPC)が提唱されました。(河野医師、2012)レビー小体型認知症(DLB)は症状の進行につれ、介護抵抗などの陽性症状が出ることがあります。DLBは後頭葉に血流低下を生じているのですが、前頭葉に萎縮を生じることもあります。後頭葉血流低下による幻覚・妄想、前頭葉萎縮による介護抵抗などの迷惑行動を併せ持つ症状がLPCです。

ですから、おとなしかったDLBの人が屁理屈を並べたり介護に非協力的になり手がかかるようになったら、DLBFTDかと鑑別に迷うよりLPCだと鑑別すればよいのです。ただ、このLPCは一般の医師には広く知られている訳ではありませんから、コウノメソッド実践医かコウノメソッドを学んで認知症を診ている医師にしか分かりません。


DLBさえもちゃんと診断できない医師もいるのが現状ですから、LPC概念が一般に浸透するにはまだ時間がかかるかもしれません。
 DLBにアリセプト適用が認可されたが、LPCには興奮作用のため陽性症状を悪化させる。
 ・ピック症状にクロルプロマジン(ウィンタミン/コントミン)が有効であることを知らない。


レビー・ピックコンプレックス症例1

あるDLBの入所者は自力で食事ができ、おとなしくて手のかからない人でした。ただ、日中であろうと深夜であろうとお構いなしに、周囲からの刺激とは無関係に突然大きな声で同じ歌を歌い出すことがありました。この入所者はいずれピック化してLPCになるだろうと予測していました。突然歌い出すのは、「常同行動」であるとみていたからです。

やがて、テーブル前席の人のお膳に手を出し、おかずを盗って食べることがしばしばみられるようになりました。注意すると、「はい、すみません」と言うか黙っていました。まったくの無反省でテーブル隣席や前席の人のお膳に手を出す行為が続くようになりました。


ベッドから車椅子に移乗介助する際に、突然怒りだして抵抗し、移乗が終わると「ありがとう」とお礼を言うようなおかしな行動も出てきました。昼夜の区別なく、周囲への迷惑などまったく配慮することもなく、大きな声で終日歌い、独語が続くようになってきました。これだけのピック症状が出てくれば、LPCであると鑑別してよいです。

ただこの症例がDLBからLPCに進行したものと断定できない点もあります。
視線がまったく合わない、暗い表情、レム睡眠行動障害があるのでDLBだろうと推定はされます。一方、歯車現象、嚥下障害なし(むしろ早食い)、幻覚、妄想なし、なのです。


無反省、盗食、目の前にある物には何にでも手を出す(使用行動)があり、FTLD検査セットは0点で質問に答えず、取り繕いもありません。

以上のことからLPCと鑑別しましたが、石灰化を伴うびまん性神経原線維変化病(DTNC)の疑いも否定できません。これはCT画像を見ないと分かりません。

介護現場ではよくありがちな常套句なのですが、「様子をみましょう」と言ってただ観ていても何の改善も見込めません。事実この症例の場合、周囲からの刺激とは無関係に大きな声を出すし、何度となく大きな声を出さないように注意したところで、まったく効果はありません。

 主な症状
  ・暗い表情で視線が合わない 
  ・大声で昼夜の別なく歌う
  ・独語
  ・盗食
  ・使用行動(目の前にあるものは何でも手を出す)


レビー・ピックコンプレックス症例2

主に食行動異常から気付いた症例です。おとなしくて手のかからない人です。但し、食事の際にお茶を床に捨てる行為があります。たぶん飲みたくない心理が働くのでしょうが、お茶の他におかずを床に捨てることもあります。

おとなしい時は極めておとなしくて妄想で何かブツブツ言っているのですが、介助抵抗するときには暴力を伴います。抵抗を示すために介助者に唾を吐きかけることもあります(実際に唾は飛んできませんけど)。このような行為は、アルツハイマー型認知症では見ることがありません。

夕食後の就寝介助では、パジャマに着替えるのを抵抗して大声をあげることもあります。ただ、臥床してしまえばおとなしく目を閉じ穏やかになります。

 主な症状
  ・幻覚(幻視)、妄想
  ・介護抵抗、暴力
  ・歯車現象


レビー・ピックコンプレックス症例3

あるショートステイ利用者のLPCを鑑別するには時間がかかりました。トイレ要求が頻繁にあり、ご飯だ、帰るだの、家族を捜すだの、要求訴えの多い人でした。穏やかな時に話しをすると、きちんとした会話は成立しました。「その場取り繕い」の話しはありません、問いかけには真偽は別として理路整然としたことを言います。

時には、屁理屈を並べて自分の身勝手な要求を通そうとすることさえもあります。頭脳明晰という感じなのですが、FTLD検査で「サルも木から~」、「弘法も筆の~」が答えられたり答えられなかったりと、一定しません。認知機能が変動するようで、介助するその時々で状態がコロコロ変わります。

特に用事がある訳でもないのに立ち上がり、転倒することもあります。僅かですが上肢に歯車現象がありますから、DLB初期ながらも前頭葉症状のあるLPCとみてよいでしょう。

この人はショートステイ利用でつなぎ、何処かの施設受入を待っているようでした。ある病院を受診してはいましたが、認知症としての治療は受けていないです。LPCを知らない医師が圧倒的多数でしょうから、「LPCだろうと思います」とでも初診の問診で介護者が言わない限り診断が難しい症例だろうと思います。
やがてこの人はショートステイに姿を見せることはなくなりましたから、何処かの施設に入所したのでしょう。優秀なケアマネが付いていて、うまく治療に繋ぐことができていればよいのですが、それは宝くじに当たるくらいの確率かもしれません。

 主な症状
  ・日によって変わる調子(体調)
  ・変動する認知機能
  ・頻尿訴え
  ・我が儘を超える要求訴え


以上のような状態(症状)をみて、「これは一体何だろう?」と思い腑に落ちないのですが、LPCを知っていれば鑑別は可能です。ただ、外来の初診30分枠で医師が診断できるのかというと疑問です。一見してそれと分かるDLBの症候はありませんし、前頭側頭型認知症とするにしても顕著な症候はありません。こういう症例にこそ、介護者が症状の特徴を詳細に把握して医師に伝える能力が必要なのです。

上記の3症例はいずれもLPCとして治療を受けていません。そもそもDLBを知らない介護職員と看護師が日常生活のお世話をしているのですから、LPCを知る由もありません。治療を受けるように助言してはいるのですが、認知症リテラシーの低い人達には理解できない話しです。
結局のところ、「迷惑行為」に我慢するだけの現状が続くだけです。

近年、DLB患者が増えていると言われています。認知症全体の概ね20%DLBであるようで、アルツハイマー型認知症に次いで多い認知症です。DLBもまた神経変性性の認知症なのですから、純粋にDLBのままであり続けるよりも、いずれはLPCに移行する可能性があるということを念頭に入れて観ておくことが必要です。

進行を遅らせるという「長期戦」に備えるためには、フェルガード100Mを用いるのが最も手堅い選択肢です。これは薬ではなく、サプリメント(健康補助食品)なのですから、処方箋は要りません。特に副作用もありません。入院患者に飲ませるには主治医の理解が必要なのでいくらか実現が難しいかもしれませんが、施設入所者であれば希望した通りに飲ませてくれるでしょう。


余談になりますが、認知症患者を施設に入れたら、「入れっぱなしの預けっぱなし」という家族は無責任です。そういう家族以上に施設職員はある意味無責任なのですから、家族にできることは家族が何でもやる姿勢もまた必要不可欠なのです。
何故なら、認知症患者はその認知症型を問わず、その進行に合わせた治療を受けている人はひとりもいませんし、LPCもまた例外ではないのですから。