2015/10/24

弄便に関する一考察

弄便、静かなる介護抵抗

弄便(ろうべん)とは、自分の排泄した、あるいは排泄しつつある大便を素手で触る行為です。
認知症患者で弄便はしばしばみられ、「患者の気持ちに寄り添いましょう」とか「何故、そうするのか考えてみましょう」などという「きれいごと」で理解するような行為ではないです。
弄便を行うことに合理的な意味や目的を見出すことは少なく、唯一、排便コントロールがうまくできていない(つまり、便秘)に原因があるのだろうということくらいです。

便を食べる(異食)、壁にこすりつける、手遊びをするなどさまざまな行為がみられ、介護の問題となっていますが、治療対象として「土俵」に乗ることのない周辺症状(陽性症状)のひとつです。

対策としては、定期的な排泄誘導による排泄の習慣付け、下剤服用、看護師の居る施設では摘便(肛門から指を入れて便を掻き出す医療行為)があります。手にミトンを着用させるとか、つなぎ服を着せるという方法もありますが、これらは「身体拘束」になるとして実施しないのが実情です。、

介護現場では、さまざまな程度・症状の認知症患者が入所しており、弄便を行わない患者にとって、弄便により生活環境が汚されることは大変不潔・不快なことであり、職員は一日に何度も掃除(後始末)をせざるを得ないなどの無形の負担を強いられています。
なお、弄んだ便を口に入れた場合、「異食」となりますので「事故報告書」を書くことになります。

ベッド上で弄便をした場合、発見した介護者が行う作業は以下のことがあります。因みにこれら一連の後始末には概ね20分程度の時間を費やします。

  •  口腔内に便があるかどうかの確認
  •  管理者、看護師等への報告
  •  衣服の更衣
  •  離床して手荒い
  •  シーツ交換
  •  ベッド柵などの清掃


弄んだ便を口に入れる心理はまったく理解できないですが、口腔内に便があれば口腔内清拭(またはうがい)をして、牛乳(なければお茶)を摂取させます。大抵の場合、弄便するような状態では介護抵抗もありますので、便を触った手に使い捨てビニール手袋を着用させます。
実際には、上に挙げた対応の何より先に使い捨てビニール手袋を着用させます。こうすることで、二次汚染を避けることができます。清拭タオルで拭き取ることはしない方がよいです。あとで流水で洗い流す方が効率的です。爪に便が入り込んでいることが多いですから、ブラシでよく洗いおとします。


ストレスになる弄便

単なる便失禁であれば、その始末をお世話するのも介護の仕事なのですから、手間を厭わないものです。ところが、弄便となるとハナシは別です。「自分でなんとかしようとした」とか、「気持ち悪かったのだから」という理解を超越した憤りが先行します。

ある在宅の認知症患者(Hさん)はおとなしいタイプの前頭側頭型認知症でしたが、家中の至る所に便を塗りつけていました。トイレに立っていながら、便器以外に放尿することもありました。介護者である奥様の話を聞くと、「情けない!」、「腹が立つ」という思いだけであるとのことでした。

実際の所、それ以外それ以上のなにものでもありません。「何故、弄便したのか話しを聞いて、背景となる理由をアセスメントしてみましょう」などと介護の本に記されていたりもしますが、机上の空論ではないかとも思えます。第一に、コミュニケーションできない人が弄便するのですから、理由の聞き出しようがありません。

  

弄便と認知症の症例

便秘だからとか、失禁して気持ち悪いからといった着眼点ではなくて、認知症の症状を中心に症例を以下に挙げます。

症例1(S)
脳卒中後遺症で右麻痺あり。掻き込みで早食いで一品ずつ食べる。ズボンの裾をたくりあげる。
弄便が常習化しており、2~3日に1回の頻度で弄便する。多い時は1日に2回のこともある。
  
症例2(T)
脳卒中後遺症で軽度の右麻痺あり。食べ物を手掴みで食べる。臥床時に常に紙オムツに手を入れる。パッド交換が終わるとすぐに紙オムツに手を入れる。

症例3(N)
脳卒中後遺症で左麻痺あり。介護抵抗があり、介護者をつねる・ひっかくなどの行為あり。ズボンの裾のたくし上げがある。
  
症例4(E)
LPCで盗食が常にある。時々怒ることもある。ズボンの裾のたくし上げがある。

症例5(I)
年齢103歳で全介助が必要ながら、年齢の割には元気が良くピック症状があることから嗜銀顆粒性認知症(AGD)と推定される。ズボンの裾のたくし上げがある。

【注記】脳梗塞と脳出血を合わせて「脳卒中」というのですが、脳梗塞なのか脳出血なのか資料を見ていないので単に「脳卒中」と記しています。片麻痺があって、脳血管性の疾患があることが明らかな人を症例として挙げています。


考察

少ない症例数ながら以上のように見てみると、実はアルツハイマー型認知症(ATD)の人が弄便する率は低いですし、レビー小体型認知症(DLB)の人も同様に低いです。血管性認知症(VD)やピック症状(あるいは、ピック症候群)のある人に多く生じるような印象です。なお、ズボンの裾をたくし上げる行為は前頭側頭型認知症(ピック病)にみられる症状(行動)です。

弄便するからといって、治療を求めることはなく介護の問題として見られるのが一般的でしょう。もし仮に、弄便の治療を求めて受診したとしても何の手立てもないとされることでしょう。
しかし、上述の症例から類推して、弄便は前頭葉の機能不全(陽性症状)であるとみなしてもよいのかもしれません。

すると、クロルプロマジン(ウィンタミン/コントミン)が弄便対策に有効な選択肢のひとつでは? という淡い期待が湧いてくるのですが、そのような文献報告は調べた限りでは見当たりません。もしかしたら、イグノーベル賞に値する発見かも知れない(笑)

2015/10/16

2015年 ディメンティア・ターニングポイント

2015年 ディメンティア・ターニングポイント

2015年のはじめ、「今年は認知症医療のエポックメイキングの年となる」と、某関係筋の間では言われておりました。確かにその通りだろうと思います。

  ヂィメンティア・ターニングポイントの構成要素
   ・「認知症治療研究会」が開催されたこと
   ・「抗認知症薬の適量処方を実現する会」が設立されたこと
   ・「臨床認知症学」が成書として出版されたこと

抗認知症薬(アリセプト)が登場したのが1999年のこと。仮にこの年を「認知症治療元年」として、それ以降の大きな出来事と言えば2011年に新たな抗認知症薬(レミニール、メマリー、リバスタッチ/イクセロンパッチ)が登場したことくらいです。

およそ16年のうちの1年足らずの期間に上記のことがあったのですから、それはも「エポックメイキングの年」であり「ヂィメンティア・ターニングポイント」と言ってもいいでしょう。

「ヂィメンティア・ターニングポイント(dementia turning point)   「認知症は治せる!」という認識をどれだけ多くの人が持ち、実現のために新しい方向への潮流となり、世の中の趨勢となるのか、その重要な分岐点が「ディメンティア・ターニングポイント」なのです。
それはまた、ディメンティア・スパイラル(dementia spiral)」からの脱却のきっかけでもあります。ディメンティア・スパイラルというのは、認知症に関わる家庭、施設、医療機関、そして国もネガティブな循環に陥ってしまい混沌とした泥沼の中にある状態のことです。先行きなどまったく見通すことはできない現在のことです。





新たな一石は投じられた

20年ほど前にマンチェスターグループが前頭側頭葉変性症(FTLD)の分類の一部(失語症候群)を病理組織と切り離して臨床症状だけで患者を分類することに決めたという激震もあり,このことが認知症という学問に一石を投じたことは確かです。

というように、数10年のちに現在を振り返ってみたときに、「認知症という学問に一石を投じた2015年」と評価されればよいのです。その象徴的できごとのひとつが、日本医事新報社から出版された「コウノメソッド流 臨床認知症学」なのです。
【注記】このページで青色文字で記されている文章は、同書のまえがきからの転記引用です。



遂に登場! 新しい「臨床認知症学」 ・・・ 「コウノメソッド流

今日まで各科が中途半端につくりかけている認知症学はいったん置いておき,介護者のための処方,治療のための診断という発想で組み立て直す必要があったのです。
「臨床認知症学」、あるいは「認知症治療学」という新たな学問を構築しようとする際には、古い伝統や長い歴史を礎に構築された既存の学問から更に新しい学問を創造するという手法は適用できないのかもしれません。それがまた認知症の厄介な性質であり、より一層の興味を誘う「奥深さ」でもあります。

現在のところ、認知症を治せる最有力かつ現実的な手法(メソッド)はコウノメソッドであるのですから、単純かつ明解に「臨床認知症学」として良いのではと思ったのです。では何故、本のタイトルに「コウノメソッド流」と表記されたのか・・・?

第1の理由:出版社の営業的思惑
第2の理由:既存の学会に対する深淵なる配慮と遠慮
第3の理由:シリーズ第5弾への布石

第1の理由
出版に際しては、3つの‘Tが重要なのだそうです。3つの'T'とは、タイトル(title)、テーマ(therm)とタイミング(timing)のことです。認知症患者が激増する一方で、混沌とした認知症医療を時代背景に、3つのT’がうまく揃った出版物です。



第2の理由
およそ学問というのは、崇高であり、高尚であり、難解であり、それらに彩られて権威がなければならないところがあるようです。だから、その学問を一般大衆化しようとした時に、「ポピュラリズムに迎合しただけ」として権威者達から批判され、価値のないこととレッテルを貼られたりもするものです。

そういう事例はいくつもあり、地球物理学の竹内均博士(元東京大学名誉教授)、天文学のカール・セイガン博士(元コーネル大学教授)、挙げればキリがないほどの先人たちがいます。

認知症を大きな括りで「認知症学」と称したら、まだまだ未完成であり混沌とした黎明期にあります。そういう時代背景の中、「臨床認知症学」として世に成書を発行するのですから、権威者達からの「的はずれな批評」を受けることもあるでしょう。

だから、「臨床認知症学」の前に「コウノメソッド流」と奥ゆかしく、少しばかり控えめの書籍名称にしたのでしょう。これは、認知症医療を取り巻く諸々の勢力や許し難い事情に対する辛辣な皮肉です。

第3の理由
まだまだ、標準はおろか、「事実上の標準(デファクトスタンダード)」にさえもなっていないのが、コウノメソッドの現状なのです。巻末に記載されたコウノメソッド実践医の方々は勿論のこと、実践医として公に名乗ってはいなくてもコウノメソッドに準拠した治療をしている医師の方々の実証データ蓄積に期待します。 
 「こんなメッセージが書かれた医学書は読んだことがない」「本の内容を忘れることができない」「アンダーラインで真っ赤になってしまった」「人生観が変わってしまった」「後輩の医師にも勧めたくなった」といった強い印象が,読後に残ってほしいと願っています。
極めて分かり易い例え話。 医学部受験のため繰り返し読んで解いて、重要箇所にアンダーラインを引いた分厚い本「大学入試問題正解」を持ち、確たる目標を持っていた頃のように、「臨床認知症学」をしっかりと学んでいただきたいものです。但し、入試問題と大きく異なるのは、唯一の正解というのが認知症治療には存在するとは限らないということです。コウノメソッドでも正解(期待する効果)が得られるのは75%くらいだとされています。それを少しでもアップさせるのは、実践医の熱意に依存するのだろうと思います。ついでながら、偏差値は関係なく、患者の家族介護者や施設介護者への配慮は大きく関係します。

シリーズの第5弾は「標準 臨床認知症学」ですね。これは、「コウノメソッド」とタイトルに改めて冠するまでもなく、コウノメソッドに準拠した治療を日本全国どこでも受けられることを意味します。だから、「標準」でよい訳です。さて、その時、「標準 臨床認知症学」の礎となるのがこの「コウノメソッド流 臨床認知症学」であり、監修は河野和彦医師、執筆・編集は認知症治療学会(現在は研究会)の認知症を治せる実践医の方々、そういう更なる展開に期待したいです。




認知症診療はアナログ感覚でいこう!
認知症のごく初期における中核薬常用量は多すぎであり,副作用の可能性が高まります。薬物の脳内濃度は血中濃度と相関するとは限らず,半減期から副作用の持続時間が推定できるものでもなく,また患者の個人差(年齢,人種,性差,感受性)もあまりにも大きいようです。ここには従来の薬理学が太刀打ちできないものがあります。また神経内科学,精神科学で言われる「効くまで増やせ」の法則もマッチしません。このように考えると,各薬剤の用法用量が,いかに思慮に欠けたものであるかがわかります。患者の身体と対話して,処方量を自身の裁量で加減するのが臨床医であり,漢方医学は数千年前からそれを実行してきました。私たちはこのさじ加減の技術に大いに学ぶべきです。高齢者への投薬にマニュアルなどなく,患者個々で加減することが求められます。




認知症介護はハイブリッド感覚でいこう!



「認知症」が「痴呆症」と呼ばれ、呆けるより先に天寿をまっとうする人が大多数であった時代ならいざ知らず、認知症の高齢者増加が必至である現在、総合的システムで取り組まなければ「認知症爆発の時代」を乗り越えることはできません。


今から7年くらい前に、「認知症を制する者、介護を制する」と漠然とした妄想のようなことを考えていたものでした。それ以来、ずっと認知症患者を見てきたのですが、その考えは的はずれではないと実感するようになりました。陽性症状の酷い認知症患者がひとり居るだけでも介護現場は余計な負担を強いられることになります。そのことが回り回って、結局は他の要介護者への介護サービス低下につながるのです。

脳血管障害や従来からある傷病、老化に伴う身体機能を介護者としてお世話するのは当然のことで、そのこと自体は昔も今も変わりないことです。褥創や感染防止に注意を払うことと同様に、認知症への関心を深めて組織的に取り組むことが必要なのです。

感動の認知症医療

認知症医療は感動に満ち溢れている

「認知症医療は論より証拠」(現代書林発行)を読み終えたとき、少なからず感動をおぼえました。それは、介護力で何とかやっていますといった美談ではなく、治療によって得られた効果をこの本に登場する医師自らが語っていることにあります。

認知症が痴呆症と称され、治療対象として医学の土俵にさえもなかった頃に大学医学部を卒業したコウノメソッド実践医の方々の「物語」はノンフィクションとして読み進める程に感動的でした。

初めての認知症治療なのですから、「初心者」です。医学教育は当然のことながら、様々な臨床経験があっても、認知症との対峙という意味では誰も皆初心者なのです。
ということは、「コウノメソッドで認知症を学べば医師ではなくても認知症を理解できる」ということを如実に示唆しているのです。

認知症に関する限り、医師と医師ではない者の唯一の違いは、薬剤の処方をする権限を有するか否かということになります(勿論、医学知識を総動員して全身状態を診るということは素人には無理です)

「認知症は治らない」というこれまでの常識やあきらめを捨て、「認知症を治せない医者」が大多数である現在の状況を変えていくことこそが、我が国が長寿大国として示す役割なのだと改めて思いました。

まだまだ、認知症医療は憤りに満ち溢れている

ある意味、コウノメソッド実践医の方々に夢物語のような活躍を語っていただいたのですが、おそらく殆どの施設ではコウノメソッドの恩恵とは程遠いのが実情でしょう。
このブログをご覧になった方からメールをいただいたのですが、抗認知症薬のひとつであるアリセプトを製薬会社の規定通りに最大まで増量して、介護現場は陽性症状を憎悪させた施設入所者のお世話でとても困っているとのことでした。

本来ならば、施設嘱託医と共に協力して平穏に暮らせるようにすべきはずなのに、施設嘱託医が現場を混乱させているのです。高齢者虐待はしばしばニュースとなりますが、こういう事例は施設職員虐待でありながらニュースにはなりません。

逆に、向精神薬を最少必要限、安全領域内で使うこともなく、認知症の陽性症状を野放しにしている場合もあります。これもまた、施設職員虐待です。私が勤務する職場はそのひとつです。

話しは少しばかり脱線しますが、虐待と言えば厚労省の調査によると、虐待の発生要因は次のように報告されています(市町村の任意・自由記載を集計)

 「教育・知識・介護技術等に関する問題」128 件(66.3%)
 「職員のストレスや感情コントロールの問題」51 件(26.4%)
 「虐待を助長する組織風土や職員間の関係性の悪さ」25 件(13.0%)

「教育・知識・介護技術等に関する問題」は、施設職員に対することを指しているのですが、これはそのまま医師にも当てはまるのです。
 「教育・知識・介護技術等に関する問題」→「認知症教育・知識・治療技術等に関する問題

コウノメソッドでは、「介護者保護主義」として、患者と介護者の一方しか救えないときは介護者を救うこととしていますが、こういう切実な問題(施設職員虐待)にも言及しているのです。「どちらか一方しか救えないとき」というのは究極の選択なのですが、実際には患者も介護者も両方とも救っていることが多いようです。


第二人称としての語り(ナラティブ)
認知症患者を第一人称、その介護者・治療者を第二人称、その他を第三人称とすると、この本に登場するのは第二人称で認知症を語る人たちです。第二人称での語り(ナラティブ)には説得力があり、混沌とした認知症を取り巻く現実にしっかりと光を照らすエネルギーに満ちています。その理由のひとつには認知症患者にしっかりと関わり合っているからです。

一方、第三人称とは? 治療に積極的ではないか、治療方法を知らない医師です。
巷に溢れる情報も本も、その殆どは第三人称によるものと言っても過言ではないでしょう。
第三人称は認知症にまつわる実態とはかけ離れた情報に終始しており、現実との乖離を感じます。何故そのようになってしまうのか。答えは、「認知症は治せる」という認識をもって認知症に関わり合っているか否かの違いにあるのです。

さて、この「認知症医療は論より証拠」、対象とする読者層はどこか。これから認知症医療に参入しようとする開業医の先生方、既に認知症を診ているものの満足な治療成果に繋ぐことのできない先生方に是非読んでいただきたい。

2015年10月、「認知症医療は論より証拠」(現代書林)「コウノメソッド流 臨床認知症学」(日本医事新報社)の2冊が出版されました。
一見して購入者層の異なるであろうこの2冊が一緒に購入されているという(アマゾン)。金額ベースで考えると、一緒に購入しているのはたぶん医師でしょう。

どれくらい発行され(購入され)たらいいのであろうか? 最低でも1万部。この数は、全国にある中学校設置数と大体同じ数です。せめて中学校区内にひとつ。日本全国のどこでも、まともな認知症医療が受けられるために必要な最低限の医療機関の数なのです。実際にはこの数倍の数が必要です。治療の腕前とは関係なく、「認知症外来」と恥ずかし気もなく大きな看板をクリニックの駐車場に2つも掲げているような開業医も在ります。認知症診療で地域に喜ばれる実績を上げられない医療機関は淘汰されるべきであり、それが市場の経済原則です。

2015/10/09

認知症医療は論より証拠

認知症医療は論より証拠


「認知症は治らない」という医学界の常識をくつがえした画期的な治療法があった。 30年以上にわたり認知症ひとすじで医療に取り組んできた河野和彦医師が生み出したコウノメソッドが、今、燎原の火のごとく広がりつつある。本書は、全国各地で活躍するコウノメソッド実践医たちのルポルタージュである。従来の標準治療では起こりえない「奇跡的」な改善が、コウノメソッドにとってはあたりまえの日常風景であることに驚かされる。

認知症医療は論より証拠 現代書林発行
患者と家族を救うコウノメソッドの最前線ルポが現代書林より発行されました。本書は、同社から発行されたコウノメソッドシリーズ第5弾です。

河野先生の他に、コウノメソッド実践医8人の活躍が著されています。「認知症医療は論より証拠」、まさにその通りだろうと思います。
8人の医師がコウノメソッドに出会い、その治療方法を取り入れて行くまでの過程が記されているのですが、本書を読み進めていくうちに認知症医療への希望が湧いてきます。


論点を何処に据えるのか

前回このブログで、認知症医療の問題点として次の3点を指摘しましたが、これらはそのまま論点でもあります。
 ・抗認知症薬の増量規定の問題
 ・向精神薬の使用を認めないかのようなガイドラインが策定されようとしている問題
 ・認知症を治せる医師が不足しているという問題

これらの問題点を包括的に見据えて、認知症医療の在るべき姿をコウノメソッド実践医の活躍を証拠として提示しているのです。



「コウノメソッドって何?」、「それって信用できるの?」というコウノメソッドを訝しがることもまだまだあるようです。その一方、「コウノメソッドに沿って治療すれば、高い成功率で安全に認知症の困った症状を治せる。そりゃ、いいね!ウチでもやってみよう」と実際にコウノメソッドに沿った治療を行っている先生方8人の記録。それが、この「認知症医療は論より証拠」(現代書林)なのです。


コウノメソッド実践医の活躍について更に詳しく知りたい方は、現代書林から発行されている「認知症になったら真っ先に読む本」(現代書林、2012年)もお勧めです。コウノメソッド実践医第1号である脳神経外科医の岩田明先生(長久手南クリニック)による執筆です。

認知症医療には、介護者から医者への情報フィードバックが必要と述べておられます。そのためには、医者も介護者も認知症についてもっと学ぶべきであるとしています。

特に重要なのは、医者は認知症患者から謙虚な姿勢で学ぶということです。このことは、「認知症医療は論より証拠」の10章で実例を示しつつ、その重要性について著されています。






2015/10/01

認知症は薬との関係で捉える

「ここは医療機関ではない!」、「医者の処方に口出しするな!」、「医者になればよかったのに!」、「介護は介護現場でできることを考えなさい!」 実際にこんなことを言われ続けても、言い続ければならないこと、それは「認知症は薬との関係で捉える」ことです。

こういう視点(問題意識)を常に持ち続けない限り、認知症の中核症状の悪化からも、周辺症状の悪化からも解放されることはありません。





9月27日、「一般社団法人 抗認知症薬の適量処方を実現する会が発足」というニュースが共同通信を発信元に全国の地方紙で一斉に報じられました。認知症医療問題のひとつが、ようやく的を得た関心事として取り上げられました。それも、全国紙ではなく、地方紙各社からです。


抗認知症薬の適量処方を実現する会 設立趣意書






これを受け、インターネット上でも多数の引用記事を閲覧することができます。





認知症の薬の使用規定により不必要な増量を強いられ、患者が怒りっぽくなるなどの副作 用が頻発しているとして、高齢者医療に携わる医師らが適量処方を推進する団体を26日まで に設立した。全国の医師や患者家族に呼び掛け、副作用の実態調査に乗り出す。
高齢化社会で認知症の増加が見込まれる中、投薬治療をめぐる問題提起がされた形だ。


問題提起は随分前からあったのです。「遅きに失した感」もあるのですが、まだ手遅れではないと思います。「遅い」というのは、抗認知症薬のアリセプトが登場したのが1999年のことです。現在、2016年。この間にどれだけ多くの人たちが大変な思いをしてきたかということです。

アルツハイマー病治療薬塩酸ドネペジルには最低用量の制約が設けられていたが、個々の患 者においては規定量の使用で治療に問題が生じることがあり、その場合少量投与が有益である 可能性が言われていた。



団体は一般社団法人「抗認知症薬の適量処方を実現する会(代表・長尾和宏=ながお・かずひろ=医師)。自民党の山東昭子参院議員が名誉会長に名を連ねる。医師の裁量で患者に合った用量で使用できるよう国などに要望する。

長い名称の会ですが、実に単刀直入で分かり易いです。


症状の進行を抑える抗認知症薬は4種類が承認されており、いずれも少量から始め、約1.74倍に増量するよう添付文書で規定されている。同会によると、規定量通りに投与すると興奮、暴力、歩行障害、飲み込み障害などが起き、介護の負担が増えることが多いという。逆に少量投与で改善する人もいる。

4種類の抗認知症薬とは、アリセプト(ジェネリック品もあり)、レミニール、メマリー、リバスタッチ(貼り薬)、イクセロンタッチ(貼り薬)のことです。


添付文書に「症状により適宜減量する」と記載されている製品もあるが、規定より少ない量で処方すると地域によっては診療報酬明細書(レセプト)の審査で認められない場合があり、効果的な少量投与を医師が控える状況だという。

同会は1123日に東京都内で設立総会を開催し、副作用の実例を公表。副作用とみられる症例や診療報酬の請求が拒否された事例を収集し、厚生労働省や製薬企業などに、適切な処方ができるよう求めていく。

我が国では、かつて薬害問題が生じたことがいくつもあります。今回の抗認知症薬の問題の深刻さは、数的規模の多さにもあります。



今回問題提起の重要ポイント
代表的な抗認知症薬「アリセプト」(一般名ドネペジル)を販売するエーザイは「臨床試験に基づき添付文書にある通りの用法用量で厚労省から承認されている。少量投与の有効性を裏付ける科学的根拠はないが、医師の判断で減量できると考えている。診療報酬の審査にコメントできる立場にはない」としている。 

ポイント1.少量投与の有効性を裏付ける科学的根拠はない
「科学的根拠(エビデンス)はない」と言っているのは、学会にて論文として発表されている文献はないということであって、裏付けとなる症例は無数に存在するのです。少量投与の有効性を裏付けるデータを元にした論文は、学会で発表しようにも受理されないという事実もあるのです。

ポイント2.医師の判断で減量できると考えている
「医師の判断で減量できると考えている]と、製薬会社は考えているだけであって、減量した処方はレセプト審査でカットされてしまう所もあるのです。



認知症医療問題はまだある!

問題提起されたこの増量規定の問題が解決すればそれですべてがうまくいくのかというと、それは違います。ただ問題解決のために必要なひとつのポイントをクリアしたに過ぎないのです。問題点を整理すると、概ね以下の3点となります。

 ・抗認知症薬の増量規定の問題
 ・向精神薬の使用を認めないかのようなガイドラインが策定されようとしている問題
 ・認知症を治せる医師が不足しているという問題

これら3点セットで解決しなければ、認知症問題は解決できないということです。それでも高齢者人口比率が増加の一途を辿る今日、我が国が直面している問題はまだまだあります。今回提起された「増量規定問題の解決」は、超高齢社会を幸せにするためには「足枷」となっていたひとつから開放されるに過ぎないのです。