そのイメージを表したのが左の図です。アルツハイマー型認知症(ATD)との相対比較で、ATDの方は全介助の状態になるのが早く、その後が長いようです。こういう人は80歳後半以降の歳でも結構居ますから、「超高齢化」を実感します。
ピックは皆、元気いっぱいだった
症例1
Kさんは易怒、暴力、暴言、盗食が酷かったです。「ザ・ピック」(典型的ピック病)でした。介護抵抗して唾を吐きかけることもありました。食べ物や飲み物を床に捨てる行為もありました。急に食べなくなって数週間後に亡くなりましたが、最期までその人らしく(?)生きるエネルギーを感じました。
症例2
Tさんは暴力、暴言、盗食が酷かったです。ニコニコ愛想良くしていても、介助時に突然つねる、噛みつくことは日常茶飯で、そのあと何事もなかったかのようにまたニコニコしていました。次第に食は細り、一部介助で食事をしていましたが、いよいよ自分で食べなくなって数日後に亡くなりました。
症例3
親戚から聞いた話し。天寿まっとうの1~2週間前までは介助を受けながらでも、何とか食べていたようです。それが急に食べなくなり、あれよあれよという間にスーっと息を引き取ったとのことでした。この人(私の伯父)は(珍しく)前頭側頭型認知症(FTD)と正しく診断されていました。但し、入院直後は身体拘束を受けるほど暴れていたようです。(詳しくはこちら→)
どの症例も前頭側頭型認知症(FTD)というだけあって、最期まで元気(生きる力・エネルギー)があるような印象です。FTDはアルツハイマー型認知症(ATD)とは違うということを教えてくれたように思います。ただ、高齢になるに従い、脳に蓄積される病変はクリアカットされ分類できるほど単純なものではなく、あくまで臨床診断であることに違いないです。
コウノメソッド流 臨床認知症学)日本医事新報社)より
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軽度認知障害(MCI)から認知症初期の段階では、これらの鑑別は難しいこともあります。ともすれば性格で修飾されてしまいそうな日常の行動をずっと観続けていると、なにかしら鑑別のヒントを与えてくれるものです。
そのとき、どう分析して理解するか、あるいは何もしないか。その積み重ねの差が鑑別能力の大きな違いとなってきます。お世話させていただいた人たちを、日々の生活のエピソードから「思い出」として語り記憶に留めるか、「症状」として記憶・記録に残すか? 私は後者を選んだのですが、「最期の伝言」として受け取った情報量は極めて多いように思います。
Tさんが息を引き取る1時間ほど前、「いよいよ最期なんだろう・・・」と思いつつ背中をさすり、手を握り、話しかけていました。難聴に加え失語症なので、微笑みのアイコンタクトくらいしかコミュニケーションの方法はないのですが。