2016/08/26

前を向いて歩こう




今月も2人の職員が辞めた。ひとりは体調を崩し、もうひとりは不満爆発でした。介護の世界ではよくあることなので、深く考えないようにしています。(本当は良くないのかもしれないのですが・・・)
こうも職員の出入りが頻繁だと、介護の質が落ちるのも無理はない。最低限のことしかできない。

さて、5セカンズというとても参考になるサイトを見つけた。(こちらを参照→)
そこに、「職場で孤立しても気にしない方法6つ」という記事がありました。(こちらを参照→)



「今の職場をステップアップの場と捉える」これは良いかもしれない。



「目的を持つことが必要」これはとても重要。

インターネットがなかった時代、こういうことが書かれている媒体は書店に並んだ本でしか入手できませんでした。そういう意味では、今はいい時代だと思う。



これまた良いことなのですが、こういうこともひとつひとつ教えていかなければ、職員が定着しないというのであれば介護業界の事態はいよいよ深刻だと思う。「学生時代にそれなりに心構えとして習得しておきなさい」と思うのは私だけだろうか?
それとも、介護の仕事で自己実現を目指すこと自体に無理があるのか・・・!?


最近読んだ本

出版:山と渓谷社
年を取れば呆けてくるのは当たり前のことで、その程度を抑える一番の生活習慣が歩くこと。その歩き方は、速歩きではなくて、息が切れない程度の速さでいいという。鼻歌をうたいながら、計算しながら、あるいは川柳を作りながらでも、5,0008,000歩程度、20分間ほどというのですから実行しやすいのでは。

ただ、歩くことで認知症は良くなると言っても、即効性が期待できるという訳ではなく、生活習慣として継続的にやっていれば効果を期待できるといったところか。

最近、生活習慣というのに敏感になってきたけれど、自分は大丈夫だろうか。歩くしかない。


2016/08/19

認知症医療と介護の悪循環理論




「きつい」、「汚い」、「危険」を「3K」と称するのであれば、それはそれで正解です。もうひとつの「3K」。それは、「くすり効かない」、「暗く険悪な雰囲気」、「苦労報われない」と言っても過言ではない介護施設のことです。ここで言う「介護施設」とは、老健、特養、有料老人ホームなど介護保険法で定める施設形態を問わず、認知症患者の居るあらゆる施設のことです。

「くすり効かない」
診断は間違っていますし、処方されている薬も適切ではないことも散見されます。一方、「これ以上の治療を望まない」とする家族の意向を受けてなのか、未治療で放置されたままの認知症高齢者は多いです。認知症には「安定期」はありません。認知症は加齢と共に症状は進行していくのですから、症状の変化に連動して適切な薬の見直しをすることが必要なのです。

また、いよいよ寝たきりとなってしまって、もはや薬の必要なしと思われる場合にはその薬の投与終了も必要です。エンドポイント(薬のやめどき)を意識せず、ダラダラ漫然と投与し続けることに合理性などないのです。

「暗く険悪な雰囲気」
こういう認知症患者でも、中間証にあっておとなしく集団生活を送っている人が居ることも事実です。
一方、適切な治療を受けないまま寝たきりで、無言・無動の入所者も居ます。その入所者の面会にやって来て、無言・無動の親のベッドサイドでじっと見つめているだけの子ども。見ているとやりきれない思いになります。このKは「希望ない」とも言えます。

また、人手不足から時間に追われるだけで、入所者はおろか同僚への思いやりさえなくなって、ただ苛立ちと不満だけが蔓延した雰囲気。これでは入所者への心配りも、親身になったお世話などまともにできるはずがありません。こうなると、人手不足に拍車をかけるように、ひとり、またひとりと介護スタッフが去っていくのです。

「苦労報われない」
介護現場は慢性的な人材不足です。いわば「介護スタッフの自転車操業」を年中やっているようなものです。こんな状況に誰がした!? と、犯人捜しをやっても仕方ありません。これが日本全国、どこにでも在る現状です。給与待遇のことはさておき、せめて高齢者のお世話がやり甲斐ある仕事にしたいものです。

やり甲斐というのは、「この施設に入所してから、調子がすっかり良くなったね」と家族に言っていただけるようになることです。「症状変わらず、寝たきり」、「家族がせっかく面会に来てくれたのに、無言・無動」 こういう状態を放置・野放しにしている施設に明るい明日はありません。


「介護は介護現場でなんとかする」と頑なになる風潮がいまだに残っているようですが、それは無理ですし、「認知症医療はまだまだ捨てたもんじゃない」と言いたい。介護保険法における施設の分類(有料老人ホーム、老健、特養など)に関わらず、医学的アプローチが必要なのです。


認知症医療の悪循環はいつまでも連鎖する

実行可能な医療の限りを尽くし、痴呆はどうしようもないから放っておく。これは数十年前の昭和時代の姿。昔はこれでもよかったのかもしれません。需要と供給の関係が均衡していて、家族介護の元で暮らして天寿をまっとうするという時代のあったことでしょう。これで地域の福祉に貢献できていたのですが、現在はこれをそのまま踏襲していられる時代ではなくなってきました。


こういう時代の流れにもかかわらず、旧態依然とした施設もあるようで、社会のニーズに対応していないです。何故か? 患者=顧客の囲い込みができていれば、それなりに安定した収益をあげられる仕組みだから。地域ぐるみで、医療機関と介護施設が患者のたらいまわしをしていれば報酬を得られる。
これでは循環系から出て行くのは入所者ではなく、疲弊・失望した介護スタッフです。


悪循環を断ち切る方法はあるのか

方法はある、そう信じていなければ到底やってられない。
国の施策としては、できるだけ在宅で高齢者を看ましょうということになっています。(参照→)
お役人の「作文」なので、「絵に描いた餅」である面もありますが、率直なところ、施設で暮らすより自分の住み慣れた家で暮らして欲しいと願わざるを得ません。誰が3K現場に自分の親を任せたいと思いますか?

多職種連携というのは必要不可欠なことですが、その根本を揺るがす問題点のひとつがこの資料の冒頭に記されています。つまり、「ケアマネジャーの50%近くが医師との連携が取りづらいと感じているなど医療・介護の連携が十分とはいえない」(2ページ)
分かりやすい話し、「医者に口出しできない」ということです。ピラミッド構造の頂点に立つ医師には絶対服従というのが暗黙の了解なのです。加えて、認知症リテラシーは低いことも災いしています。

「病院・老健」、「病院・老健・特養」を構成する法人事業体は日本全国どこにでもあります。先ずは、こういう施設群が多職種連携のお手本を示すリーダーたるべきであろうと思われます。
国の示した大枠のもと、介護保険の保険者である市町村は、こういう事業体をうまく指導して活用しないといつまで経っても介護費用を浪費するだけの制度維持に税金を投入することになるのです。


こういう現状を変える方法はあるのか? 現在考えられるひとつの有力な方法は、コウノメソッドを核(コア)にした認知症治療とそれを支える介護職員のレベルの向上だろうと思います。


施設入所時に最低でもやるべきこと

1.それまでの診断と治療を見直すこと
既往歴に「アルツハイマー型認知症(ATD)」と記されていたら、まずは疑ってみること。とても多いのは、前頭側頭型認知症(FTD)であるのにATDとなっていることです。診断された時期が何年も前のことであれば、特に疑ってみることです。

認知症の初期は典型症状が出揃うとは限らず、鑑別に苦慮することはあります。それで、単に「認知症」とされたり、「アルツハイマー型認知症」とされていることもあるようです。但し、これは善意的(好意的)解釈であって、まったくの誤診と指摘せざるを得ないこともあります。


2.「これ以上の治療を望みません」という言葉を真に受けないこと
認知症に関する限り、この言葉を真に受けることは、「どんな迷惑も受け入れます」と施設側が宣言しているようなものです。そしてこれが「介護は介護現場でなんとかする」と頑なになる一因でもあるのですが、なんとかするにも限度があります。

入所者一人ひとりに十分な時間をかけて声かけし、自立を促すように行動を待つことができるだけの人員配置と時間があればいいのですが、できないでしょう。これが上述の「3K」を助長する原因のひとつではなかろうかと思います。できれば他人様のお世話で、「効率」という言葉は使いたくないのですが、効率を考慮しないで済む時代ではないのです。


だから言いたい!

ブックマン社
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」 ・・・ 事実です!


2016/08/17

真夏の夜の夢

「認知症と共生する社会に向けて 認知症施策に関する懇談会 報告書」(20163)と題する懇談会の報告書を読んだ。(詳しくはこちら→

メンバーは我が国の認知症医療を牽引する権威ある面々で構成されている。製薬会社のスポンサーのない、従ってしがらみのない懇談会である。多忙の中、自費での参加という。
現在我が国が直面している認知症の諸問題の全容をある程度詳細に網羅しているのではないだろうか。構成はさすが認知症関連学会の重鎮による仕事だと思った。
懇談会のメンバーを医師だけでなく多職種を含める案もあった.結果として今回のメンバーは全員医師であったが,議論され提示された論点は,医学・医療にとどまらずケアや社会的支援の視点を多く含んだものとなった.それは意図したわけではなく,自由な議論の中で整理されていった論点であったことをあらためて申し上げておきたい.新オレンジプランにおける医学・医療的視点や社会的視点のバランスよりも,本懇談会の議論は結果として社会的視点をよりひろく包含したものとなった.


それでもなおアカデミズムにドップリと浸かり、ともすれば現実離れしているきらいも否めない。「論点7.認知症研究の推進」では次のように指摘している。


製薬会社との関係を抜きにした懇談会ということで、ホンネがチラリと見え隠れしているかにも思えるのですが、本当のところはどうなのだろうか? 気になるところではある。
実際に導入されているこれらの抗認知症薬,あるいは抗認知症作用があるといわれている薬剤について,いったいどのような効果が,また,どれほどの期間の効果がみられるのか,科学的なエビデンスを求める研究が必要である.

「効果がある」と学会で発表され続けているではないか。
「科学的なエビデンス」はあると学会で発表され続けているではないか。

ただの「言葉あそび」か、「リップサービス」か?
更なる研究費拠出の要求か?

「抗認知症作用があるといわれている薬剤について ・・・ 
     科学的なエビデンスを求める研究が必要である」

今年まとめられたガイドラインとの整合性は?
「副作用」についての言及なし!
「適量」についての言及なし!


・・・ううぅん! 素人にはわからん!

たまには研究室や大学病院から出て、日本全国どこでもいいから、どうしようもない老健か特養で1ヶ月間研修と称して働いてみたら・・・ 勿論、そこと同じ賃金で。 これ、いいかも!


2016/08/12

最期の伝言

今年、何人の入居者の最期(天寿まっとう)を看たかもう忘れました。「故人の在りし日を忍ぶ」などという文学的思考がないわけでもないのですが、今回は一歩引いての考察です。
前頭側頭葉変性症(FTLD)はタイプを問わず、「キャラクタ分類」(コウノメソッド)で覚醒系・陽証とされるだけのことあって元気がいいという印象です。特にピック病(前頭側頭型認知症のひとつ)は、亡くなる数週間前まで元気がよいようです。

そのイメージを表したのが左の図です。アルツハイマー型認知症(ATD)との相対比較で、ATDの方は全介助の状態になるのが早く、その後が長いようです。こういう人は80歳後半以降の歳でも結構居ますから、「超高齢化」を実感します。


ピックは皆、元気いっぱいだった
症例1
Kさんは易怒、暴力、暴言、盗食が酷かったです。「ザ・ピック」(典型的ピック病)でした。介護抵抗して唾を吐きかけることもありました。食べ物や飲み物を床に捨てる行為もありました。急に食べなくなって数週間後に亡くなりましたが、最期までその人らしく(?)生きるエネルギーを感じました。

症例2
Tさんは暴力、暴言、盗食が酷かったです。ニコニコ愛想良くしていても、介助時に突然つねる、噛みつくことは日常茶飯で、そのあと何事もなかったかのようにまたニコニコしていました。次第に食は細り、一部介助で食事をしていましたが、いよいよ自分で食べなくなって数日後に亡くなりました。

症例3
親戚から聞いた話し。天寿まっとうの12週間前までは介助を受けながらでも、何とか食べていたようです。それが急に食べなくなり、あれよあれよという間にスーっと息を引き取ったとのことでした。この人(私の伯父)(珍しく)前頭側頭型認知症(FTD)と正しく診断されていました。但し、入院直後は身体拘束を受けるほど暴れていたようです。(詳しくはこちら→)


どの症例も前頭側頭型認知症(FTD)というだけあって、最期まで元気(生きる力・エネルギー)があるような印象です。FTDはアルツハイマー型認知症(ATD)とは違うということを教えてくれたように思います。ただ、高齢になるに従い、脳に蓄積される病変はクリアカットされ分類できるほど単純なものではなく、あくまで臨床診断であることに違いないです。

コウノメソッド流 臨床認知症学)日本医事新報社)より

軽度認知障害(MCI)から認知症初期の段階では、これらの鑑別は難しいこともあります。ともすれば性格で修飾されてしまいそうな日常の行動をずっと観続けていると、なにかしら鑑別のヒントを与えてくれるものです。



そのとき、どう分析して理解するか、あるいは何もしないか。その積み重ねの差が鑑別能力の大きな違いとなってきます。お世話させていただいた人たちを、日々の生活のエピソードから「思い出」として語り記憶に留めるか、「症状」として記憶・記録に残すか? 私は後者を選んだのですが、「最期の伝言」として受け取った情報量は極めて多いように思います。

Tさんが息を引き取る1時間ほど前、「いよいよ最期なんだろう・・・」と思いつつ背中をさすり、手を握り、話しかけていました。難聴に加え失語症なので、微笑みのアイコンタクトくらいしかコミュニケーションの方法はないのですが。

2016/08/05

認知症学は人間学のひとつ

「あいさつができていない・・・」、ならば「あいさつをしましょう、自ら率先して・・・」。実にばかばかしいこと。大体、「あいさつ運動」なる表面的スローガンを掲げたキャンペーンをはること自体が恥ずかしいことなのです。小学生ではあるまいし、本質的には家庭での躾(しつけ)の問題です。

「あいさつをしよう!」などと大きな横断幕や看板を校門に掲げた中学・高校というのは、「躾の厳しい学校」ではなくて「躾から始めなければならないほどに荒んでおり、学業は二の次です」ということを公に言っているようなものです。学業成績、即ち、難関高校・大学合格実績というのは別次元のことなのです。(勿論、「学歴至上主義」を言っているのではありません。)

残念ながらこういう低い次元のことは介護現場も例外ではないはずです。崇高な理念だけが先行して虚しい現実だけが横行する。色々と介護の質が問われる一方、全国にはしっかりとした教育や取り組みを実践している施設もあるものです。
私がいつも注目していて、お手本であり目標でもある施設では、施設内での教育に「木鶏会」(この頁下段に掲載)を採用しているという。

たぶん、こういうことを実践している施設では、あいさつの励行という基本中の基本はとっくに徹底されており、次の次元に向かっているだろうと思います。


<転記はじめ>
人格向上に対する社内勉強会『社内木鶏会』
平成24年1月より社員たちによる自主的な勉強会を実施しています。テーマは 『人間学』で、致知出版社より毎月発行されている雑誌『致知』を活用し、掲載される記事を題材に感想文を発表・意見交換会を行っています。
木鶏会の目的は:
 1)職員一人一人の人生・仕事に対する意識を高め、人間力の向上を目指している
 2)組織内の交流を深め、他職種とのチームワーク向上、目標や方向性を一つにしていく。


こういうことを実践するのと並行して、

秀慈会は、国の方針に沿った医療・介護の取組みを目指しております。在宅復帰して家族の負担を最小限に抑えて家で過ごせるよう、『認知症』と『リハビリテーション』に力を入れております。職員を教育し、認知症やリハビリテーションに関して医学的研究・臨床を行い、常に新たな開発も挑戦して多方面から医療と介護の充実を図っております。

治療する老健へのパラダイムシフト 『少量薬物療法によるBPSD併発認知症患者への治療』
萩の里の認知症棟では、平成24年4月より新たな試みとして、重度のBPSDを併発している認知症患者を受け入れ、『少量薬物療法』を施行した上でBPSDを軽減、在宅復帰して頂いております。その後は、少量薬物療法に理解のあるかかりつけ医に引き継ぎ、各種在宅サービスを利用されております。ご家族がレスパイトを必要とすれば、ショートステイのご利用や再入所する等の流れを繰り返し、現在まで42人の重度のBPSDを併発している認知症患者を治療致しました。
<転記おわり>




認知症を学ぶことの本質は「人間学」を学ぶことでもある
およそ文学とは程遠い私ですが、広瀬淡窓の「休道の詩」は座右の銘です。
介護の仕事はひとつ間違えると、「3K」を地で行くだけのつまらない仕事になってしまいます。「休道の詩」は、ある大学医学部の教室歌にも「友への思いは濃く深く、君は川流(せんりゅう)、我は薪・・・」と歌われています。

つまり、負担の軽い水汲みを同僚にやってもらい、負担の重い薪拾いを自分がする、という同僚のことを思いやりを表しているのです。「お互い様」のことですけれど、こういう思いやりの精神は、いかなる分野でも必要だと思うのです。
私はこの大学の医学部とは縁もゆかりもないのですが、疲れたときにはよく聴いて癒されております。そして思うこと、「あの頃はよかった・・・」


 木鶏会とは?
YouTubeに「木鶏会」のことが紹介されています。
詳しくはこちら →


こういう熱心な取り組みを見るにつけ、「出版社の営業戦略にはまったのか・・・!?」と、一歩引いてしまうかもしれません。たしかにそういう冷静な判断力は必要です。けれど、ビデオを観てお話しをよく聴いてみると、「社内木鶏会」には効果があるようです。

2016/08/01

介護現場でみるPSPSとCBS

進行性核上性麻痺症候群(PSPSprogressive supranuclear palsy syndrome)大脳皮質基底核変性症候群(CBScorticobasal syndrome))は共に生前の確定診断(病理診断)はできないことから、症候群(syndrome)の‘’S‘が略語の末尾に付いています。つまり、生前の臨床診断では「症状から診て、PSPだろうと推定」とします。
そして、死亡後に病理解剖して、「確かにPSPでした」というふうになるのです。どちらも難病指定されており根本的治療方法は見つかっていません。だからと言って、あきらめたくはないです。

今回は、両者を比べるとPSPSの方が発症頻度が高いようですから、PSPSについて記します。
PSPSは有病率が人口10万人あたり1020人程度と推測されています。高齢者の寿命が伸びるに従って増える傾向にあるのかもしれません。統計上の数値を見ると「稀な病気」のように受け取られがちなのですが、介護施設では普通にみられます。

PSPSの人は大体こんな感じ
「第一印象は若い」と思うことです。若いと言っても、大体70歳前後から80歳くらいにして、寝たきりの全介助が必要なほどに動かない・しゃべれないという状態を見ると誰もが思います。
こういう状態の人を見たら、脳血管障害(脳梗塞、脳出血)による後遺症で寝たきりになっているのだと思うかもしれません。そういうこともありますが、PSPSCBSの疑い有りという視点は必要です。何故なら、レビー小体型認知症(DLB)や前頭側頭型認知症(FTD)と診断されていたり、診断がないこともありますから。


「統計」というのはウソをつくことのできる魔法の数学です。統計でも何でもない私の‘数字あそび’では、5()/100()×1005%が有病率となります。つまり、入所者100人の介護施設で5人のPSPS患者が生活しているということです。適切な知識があれば、PSPSにせよCBSにせよ、これらの診断と治療を守備範囲とする神経内科医よりも、介護関係者の方が気付きやすいのではないかと感じます。
何故なら、1日中、お世話を通じて表情を見て、身体に触れているからです。このことは診療で多忙な医師には真似のできないことです。

以下は介護を通じて気付けるポイントです。
・食事は全介助で、飲み込むのが遅くて咽せることがある
・眼球を横方向に動かすことはできても、縦方向には動かせない(核上性注視麻痺)
・頸部が筋強剛していて、頭が後ろに反り返っている
・年齢の割に顔のシワが目立たず、艶やかな感じ
・無言、無動で、声をかけても反応がほとんどない
・手や足を硬く曲げたまま、あるいは伸ばしたままで鉛のように硬い(鉛管様筋固宿)
・手を握り締めている(爪白癬ができるほどに指先を握り込んではいない)
・時々、ぴくつきを生じることがある(ミオクロヌース)
・理由もなく「フフフ」を笑うことがある


予後はどうなるのか
このブログのトラフィック解析では、どういうキーワードでこのブログにアクセスされたのかを知ることができます。毎日のように、「大脳皮質基底核変性症」・「末期症状」というキーワードでの検索がありますので具体的に記します。

(1)老衰、または何かの疾病に起因する死亡
自分の体調不良・苦痛を訴えることができないですから、介護者は様子を見守るしかありません。
ある入所者(Iさん)は車椅子からベッドに移乗した後に、「クー」と声をあげて、眼球を上に向けました。眼球を上に向けることはできないはずなのに、ただでさえ大きな目をさらに大きく開けたものですから異変に気付き、救急搬送されました。CT検査で腹部大動脈留が見つかり、それが破裂して亡くなりました。PSPSは眼球を上下方向に動かせないということを知らなければ異変に気付くのが遅れたかもしれません。当該施設では、老衰による天寿まっとうの最期を迎えた人はいません。

(2)嚥下障害により経管栄養へ
胃瘻造設の是非はさておき、第三期(症状の末期)ともなると嚥下状態は悪いです。加えて、食べるという行動すら理解できていないのか、食べ物・水分を必要もないのに咀嚼し続けたりします。また、食塊を口元まで持っていくと、歯を食いしばって口を開けないこともあります。
こういう状況にあっても介護現場は胃瘻造設(経皮内視鏡的胃瘻造設術 PEGpercutaneous endoscopic gastrostomy)を避けるべく、経口摂取の維持に尽力するものです。

しかし、何らかの疾患で入院したら、その苦労はそこまでです。入院先の医療機関が胃瘻造設を患者家族に勧めるのです。そうなると、胃瘻造設された人は、人手不足の理由で元の施設に戻ってくることができなくなることがあります。ですから、「もうあの人たち(Iさん、Kさん、Uさん)に会えない、お世話することはない」という、入院に到る疾病が施設介護者としては一番怖いです。実はこれが結構辛い経験でもありますし、無念でもあります。

(3)誤嚥性肺炎、窒息死
PSPSCBSも末期ともなると嚥下機能は悪いです。だから、どんなに頑張って経口摂取の介助を続けても、いずれは胃瘻となります。施設入所時に既に胃瘻造設された高齢者が入所することもたまにはあります。YさんはPSPSだったのだろうと推定される人でした。1年ほど前はショートステイ利用者でしたが、当時はまだ自立歩行ができていました。

それが、姿を見ないので記憶から消え去ろうとしていた時に入所となりました。過去に見た面影はどこにもありません。やせ細り、四肢の著しい硬直から浴衣を着て寝たきりでいました。胃瘻のあとギャッジアップしていたのですが、そのまま亡くなりました。
PSPSCBSの死因の多くは肺炎や喀痰による窒息などと考えられていて、誤嚥性肺炎には気をつけることは日常的に行われていますが、窒息するリスクを抱えているということも知っておかなければなりません。


PSPSCBSの介護者だから言いたい
「介護サービスの向上」ということは、どの施設(介護保険の分類を問わず)でももっともらしく言われ、それなりに何かやってはいます。(時には、極めて表面的で美辞麗句を並べ立てて・・・)
我が国はもはや「高齢化社会」ではなく、「高齢社会」でもない、「超高齢化社会」なのです。それに伴って認知症患者が急増することは分かり切っています。

当然、難病と指定されたPSPSCBSも増加するであろうことは容易に推測できます。これは、現場でも実感しています。「あら!またですか!」と思うほど、PSPS或いはCBSと推定される入所者が入ってきます。初めは「ピックぽいね、レビーぽいね」と思ってみていたのですが、進行する症状をしっかりと年単位で観ていると「どうもそれでは説明がつかないよね・・・」と思うこともあります。

病院・老健、あるいは病院・老健・特養の医師は、雇われ嘱託医であれ経営者であれ、患者の様子を長期にて亘って診させていただく機会を与えられているのです。こういう貴重な経験から、神経内科を専門とするか否かを問わず、PSPSCBSを鑑別する能力も習得しなければなりません。それが、プロというものです。

認知症急増の現在、神経変性性の第4の認知症、それはPSPSCBSというのは介護現場で感じる新たな「時代の流れ」なのかもしれません。このことを示唆する問題点は既に提起されているので、転記しておきます。

PSPSCBSに関する問題点
■稀な病気と認識され、認知症・神経専門医の臨床経験が乏しい
■講演会・研究会・学会ではマイナー扱いで誰も取り上げない
■薬剤の有効性が乏しいため、製薬会社・学会の関心がない
■動作歩行障害のため、パーキンソン関連疾患として一括りにされた
PDDLBATDと誤認される症例が非常に多い
■抗認知症薬やパーキンソン治療薬などで著明に悪化する症例が多い
■高齢化に伴い75歳以上で発症する症例が急増している
(出典:認知症治療研究会会誌 Vol.2 No.22016p.119


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